北大寮歌「酒、歌、煙草、また女」<等々力短信 第1031号 2012.1.25.>2012/01/25 04:10

 インターネットに毎日書いていると、時に思わぬ反響がある。 昨年6月「三 田の慶應義塾を歩く」という福澤諭吉協会の一日史蹟見学会の報告を、ブログ に7日間も書いた。 その中に「三田の時代を慕ふかな」と題して、「文学の 丘」の入口に植えられた「ノウゼンカズラ(凌霄花)」から、佐藤春夫の『殉情 詩集』にある「酒、歌、煙草、また女」三田の学生時代を唄へる歌を引いた。  「ヴィッカスホールの玄関に 咲きまつはつた凌霄花 感傷的でよかつたが  今も枯れずに残れりや」というあの詩である。

 すると、北海道大学卒業生の金武彦さんという方のコメントが入り、昭和30 年代に北大恵迪(けいてき)寮で「酒、歌、煙草、また女」が、「都ぞ弥生」と並 んで準寮歌として愛唱されていたという。 『三田文学』に関係の随想が掲載 されたり、2008年10月に制作されたCDまであるらしい。 佐藤春夫の孫で ある高橋百百子さんは、卒業25周年の時以来、大学同期の「105年三田会」(創 立105周年の卒業)でご一緒し、短信の読者でもある。 お尋ねすると、ぜん ぜん知らない、興味があるというので、金武彦さん(62(昭和37)年入寮)にCD と関係資料を送って頂いた。 悠然とした曲だ。

 『三田文学』第97号(2009年春季号)に、前島一淑さん(慶應義塾大学名誉教 授)が書かれた「佐藤春夫「酒、歌、煙草、また女」の歌―三田、倉敷、札幌、 そしてふたたび三田」その他の資料によると、こんな歴史があった。 倉敷青 陵高校の柔道部に1935(昭和10)年生れ、1954(昭和29)年卒の三人の仲間がい た。 出原弘之さんは慶應文学部、仁科喜佐男さんは横浜市立大、荒木武夫さ んは北大へ進んだ。 佐藤春夫に心酔していた出原さんは慶應一年のその年、 「酒、歌、煙草、また女」に曲をつけ、仁科さんが後半を強めに編曲、夏休み に帰省した倉敷で、それを聴いた荒木さんが、仁科編曲を出原作曲が挟む構成 にした。 荒木さんが北大恵迪寮に伝えたこの歌は、翌55年同室に入寮した バリトンの美声の持主、酒井誠一郎さんが全寮コンパで歌ったことで大ブレー ク、青春の歌、準寮歌として愛唱されるようになった。 前島一淑さんはその 恵迪寮へ56年に入寮、獣医学部卒、人と動物の共通感染症(例:結核、狂牛 病、インフルエンザ)のご専門で、73年に慶應医学部に来て、教授となり定年 まで勤められたという。

 この歌は70年代初め、新宿のゴールデン街で『やくざの歌』として歌われ ていたらしい。 かつて青春讃歌とした恵迪寮ОB達は、このメロディが慶應 三田のキャンパスに蘇り、いつまでも歌い継がれることを望んでいる。

コメント

_ 金 武彦(こん たけひこ) ― 2012/01/25 23:06

 北大恵迪寮の準寮歌,「酒、歌、煙草、また女」のご紹介、ありがとうございます。高橋百百子様から、佐藤春夫の愛唱歌が「人を恋ふる歌」であることを教えていただきました。春夫に憧れ、慶應文学部に入学した仁科さんのメロディは、その「タター・タータ」というリズムと同一です。
 受験戦争を戦い抜いてきた若者は、自由と自治の城「恵迪寮」で、酒、歌、煙草を覚え、ちょっぴりデカダントな雰囲気にも触れたいと願っておりました。唄「酒、歌、煙草、また女」は、及び腰の寮生の心を捉え、昭和30年代、長期にわたり大ブレイクしました。いま喜寿、古稀を迎えたジェントルマンは、青春賛歌のひとつとして、声高らかに唄い上げています。
 毎年1月最後の土曜夜、恵迪寮同窓会主催による「寮歌歌始めの会」が、札幌ススキノで開催されます。百数十名の参加者の中核が「酒、歌、煙草、また女」世代で、今年も喧騒をばら撒くことになりましょう。また今年は、「都ぞ弥生」百年の年に当たり、6月9日、クラーク会館での音楽会・講演会、中央ローン(構内)での1万人による「都ぞ弥生」大合唱、ホテルでの記念寮歌祭、北大総合博物館での「都ぞ弥生」展示会、と行事が目白押しです。

_ 山下透 ― 2016/11/22 23:09

藤沢に住む73歳の山下透と申します、私の兄山下広が北大3年のころ、酒,歌、煙草、また立山 という随想を書き、その5か月後日高の山で遭難し、遺稿として北大スキー部山班部誌むいね3号に掲載されました。幼少時より読書家だった兄は、酒、歌、煙草、また女を愛した人だったと思います。この詩をもじって、北アルプスの立山山行での出来事をあたかも、佐藤春夫になったつもりで書いたものと想像しています。但し、兄は当時恵迪寮ではなく、楡影寮に住んでおり、この歌のことは聞いておりません。昭和35年の事でした。

_ 金 武彦 ― 2016/11/24 21:30

 三田評論8・9月号に、新・国民の休日「山の日」制定を寿ぎ、山岳写真家・岩橋崇至氏、名誉教授・秋山豊子氏、幼稚舎教諭・加藤三明氏による対話が掲載されています。岩橋氏(お父上は画家の英遠氏)は、山行が大変な山として、川を20回も渡渉せねばならぬ北海道日高の幌尻岳をあげています。加藤氏は、山の魅力とは、「危険と隣り合わせであるものを乗り越えたという達成感」と指摘し、「無事に帰ってくることが達成感を生む」と結んでいます。
 
 新制の北海道大学は、1、2年生は教養部に属し、3年次に学部移行しました。教養生の寄宿舎は恵迪寮で、構内北側の原始の森に建つ4寮300名。その南側にある楡影寮は、学部生50名を収容していました。恵迪寮は1室5名、楡影寮は2名です。
 昭和30年代はじめ、恵迪寮で大ブレイクした準寮歌「酒、歌、煙草、また女」を、楡影寮同室者が披露し、又は楡影寮大食で度々開催されるコンパで寮友が合唱していたのではないでしょうか。私も、恵迪寮-楡影寮と、大学構内で起居組のことりて゜す。合掌

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

※投稿には管理者が設定した質問に答える必要があります。

名前:
メールアドレス:
URL:
次の質問に答えてください:
「等々力」を漢字一字で書いて下さい?

コメント:

トラックバック