報恩の人、北里柴三郎―慶應医学部とコッホ神社2012/06/25 02:17

 北里柴三郎は、恩に報いる人だった。 1915(大正4年)1月10日の「福 澤先生誕生記念会」の「学問の神聖と独立」という講話で、「私は慶應義塾出身 の者ではありませぬ。しかしながら福澤先生の御恩を受けましたことに於いて は、慶應義塾出身の多くの方よりも、より多くを受けた一人でございます。実 質的な御恩は素よりのこと、精神的教訓をも受けているのでございます」と述 べている。 そして慶應義塾が1917(大正6年)医学科(医学部になるのは翌 年)を創立する際、中心となって尽力し、1928(昭和3)年まで学部長を務め た。 設立にあたり、北島多一を始め古参の門下生を教授に配し、他大学には ない「公衆衛生学」を設置し、予防医学の教育に力を入れた。

 北里は福沢に「独立不羈」の考えを直伝され、さらにそこに「奉公人根性な きこと」と付け加えた。 北里一郎さんは、「不羈」の「羈」は馬をつなぎとめ る革のくつわや綱と話した。 知らなかった、勝手に連覇の「覇」(旗頭)と同 じようなものかと思っていた。 「絆」と同じ意味を、「不」を付けて「束縛さ れない」と、否定しているわけだ。 そういえば、見学会の途中、このブログ を読んで下さっている黒田さんに、「絆」(2/3)や「再起動と再稼働」(6/15) に影響を受けていると言われ、嬉しかった。

 北里研究所では、北里柴三郎記念室の展示(一般公開・月曜日~木曜日、午 前10時~3時)を見学した後、渋谷から三田へのバス通りに面した小庭にある コッホ・北里神社を見た。 北里は、ドイツ留学で師事したローベルト・コッ ホへの報恩の気持が篤く、1908(明治41)年コッホ夫妻が来日した折には、 熱烈に歓迎、常に寄り添い、上野音楽学校での歓迎会や歌舞伎座など各所を案 内した。 コッホが整髪した際に、床屋にこっそり頼んで、切られた髪をもら っておいた。 それから二年後、コッホの訃報に接した北里は、研究所の一角 に、その遺髪を神体として、総檜造り銅板葺きの祠堂「コッホ祠」をつくり、 師を偲ぶことにした。 以来、北里研究所の守護神として、毎年5月27日の コッホの命日には、社前で祭典が行われる。 1931(昭和6)年、北里が逝去 した時には、今度はその門下生が祠の隣に、北里を記念する祠を建てた。 こ れは1945(昭和20)年5月の空襲で焼失したが、焼失を免れた「コッホ祠」 に合祀したので、今日「コッホ・北里神社」と呼ばれるものとなっている。 池 のある小庭には、コッホ手植えの杉や月桂樹が残っている。 祠は鞘堂に守ら れていて、賽銭箱もあった。

絵の楽しみと、真贋の鑑定<等々力短信 第1036号 2012. 6.25.>2012/06/25 02:20

 ゼミのOB会があって、同期でまだ上場会社の社長でがんばっているS君に、 絵の本の話を聞いた。 日動画廊社長・長谷川徳七さんの『画商の「眼」力 ― 真贋をいかにして見抜くのか』(講談社)。 長谷川さんが鑑定の力を養い、 身につけていく過程が面白かったという。 知らなかったのだが、長谷川徳七 さんも同期、創立105年の年度の卒業、「105年三田会」会員だそうだ。 カ ナダのトロント大学に留学していたので年は二つ上だが、卒業は同じで、住友 銀行に入っている。 実は、私も同じ時に住友銀行の面接を受けた。 重役の 部屋に行ったら、ゴルフのパターの練習をしていて、ギョロッと睨まれた。 大 阪の銀行の、その「眼」力のせいか、ご縁がなかった。

 銀座の日動画廊、入りにくいけれど、何度か入ったことがある。 金山平三 や中川一政、入江観の絵が見たかったからだ。 香月泰男の展覧会を見に、ご 父君で創業者長谷川仁さんの郷里、笠間市の笠間日動美術館へ行き、舟越保武 「原の城」や画家のパレット330点の一大コレクションも見た。 仁さんは、 私が中学を出た明治学院の先輩で、牧師から画商になった珍しい経歴の持主、 日本の洋画商界のパイオニアである。

 徳七さんの『画商の「眼」力』と、『私が惚れて買った絵―セザンヌ・モネ・ ピカソ……』(日動出版)を、図書館で借りた。 前書には、入りにくい画廊 だが、ぶらりと足を運んでほしい、実際に自分の目で見る経験によって芽生え る感覚を、多くの人に味わってほしい、とある。 まずは、本物に直接触れる ことだ。 テレビの美術番組やインターネットの検索は便利だが、わかった気 になって安心してしまう、便利でありながら怖いところだ。 いい絵を一枚で もいいから家に飾ってほしい。 いい絵は「何となく心が安らぐ」時間をもた らす。 人の生活に潤いを与え、人生を豊かにする。 本物を見ていると「自 分は何を美しいと思っているのか」を知ることになる、という。

 私も絵は好きで、よく展覧会に出かける。 詳しい知識があるわけではない。  ただ見て来るだけだ。 それでいいのだ、と専門家に言われて、ちょっと安心 した。

 藤田嗣治を中心にした真贋の鑑定の話は、興味深い。 本物かどうかは、直 感でわかる。 贋物には、魂がこもっていない、こちらに訴えてくるものがな い。 画家が「いつ・どこで・どういう絵を描いたか」の足跡を可能な限り調 べ、一つ一つの作品を訪ね歩き、それを裏付ける膨大な資料を集め、カタログ・ レゾネ(全画集)をつくる。 果てしない年月と根気、費用のかかる仕事の末 に、鑑定は可能になるという。