明治学院校歌と延山小学校校歌二、三番2012/09/20 01:36

 一昨日、小学校の校歌のことを書いたら、濱田洪一さんがコメントをつけて 下さった。 濱田さんは、森村学園の小学校の出身で、「千歳の松のその芽ばえ、 青海原のひとしずく」という校歌は、大正時代に森村の音楽の先生をしていた、 納所辨次郎の作曲で、彼は「もしもし亀よ」の作曲者でもあるとのことだった。

 私は延山小学校を出て、当時の森村学園に近い、明治学院中学校に進んだ。  明治学院の校歌は、第一回卒業生で明学の一枚看板である、島崎藤村(本名春 樹)の作詞、実は今回調べて初めて知った前田久八の作曲だった。 藤村の詩 らしく、格調高く、荘重で、すばらしい。 今でも歌うと、涙が出そうになる。

 「人の世の若き生命(いのち)のあさぼらけ/学院の鐘は響きてわれひとの 胸うつところ/白金の丘に根深く記念樹の立てるを見よや/

緑葉は香(にほ)ひあふれて青年(わかもの)の思ひを伝ふ/心せよ学びの 友よ新しき時代(ときよ)は待てり/もろともに遠く望みておのがじし道を開 かむ/霄(そら)あらば霄を窮めむ壌(つち)あらば壌にも活きむ/

ああ行けたたかへ雄雄しかれ/眼さめよ起てよ畏るるなかれ」

 ついでだから、堀内敬三作詞・作曲「品川区立延山小学校校歌」の二番、三 番も書いておく。 1954(昭和29)年の卒業アルバムに、堀内敬三の手書き かと思われる楽譜と詞の凸版があるのだが、三番の一部が校旗の写真に隠れて おり、その部分は私が記憶で推測した。 いかにも戦争直後、民主主義教育の 開始、文化国家建設という時代の空気が反映している。

二番「朝日は光り 朝風かおる 武蔵の野べの 若草われら 育みそだてる  延山わが校 校のしるしの なでしこのよう われらは伸びよう やさしく強 く」

三番「産業おこし 文化をあげた 父兄につづく 第二の民の 力を養う  延山わが校 学を修めて 心をみがき われらはつくそう 日本のために」

 納所辨次郎については、また明日。