田植えと田楽・田楽能、念仏踊りから芝居へ ― 2013/04/26 06:52
綛野(かせの)和子さんの『日本文化の源流をたずねて』に、伊雑宮(いざ わのみや)の御田植祭の写真があった。 早乙女が田植えをし、小謡を演じる 男の子達が田んぼにいて、おかっぱ頭の女の子(?)が田舟に乗っている。 「芸 能(二)歌舞伎の発生」の節である(芸能(一)は、申楽能から能楽へ)。 古 代からの日本の芸能で、伎楽、舞楽、散楽は、インドや西域や中国大陸から伝 わって来たものだから、その芸能をする外国の人達を、最初は大和の宮廷が、 その力が衰えてからは、大きな寺や神社(薬師寺、東大寺、興福寺、天王寺、 住吉神社、春日神社など)が保護した。 日本固有の芸能として、一番ポピュ ラーなのが田楽だ。 それは田植えが神事なので、ポピュラーで残った。 5 月の田植えに、田の神事なので早乙女たちは化粧をする。 素顔を見せないた めに「仮装をする」ということだ。 お揃いの衣装を着て、田んぼに入り、稲 の苗を植えていく。 ただ黙って植えていくのでは、だれてしまうので、田楽 の人達が、太鼓や編木(びんざさら)や笛で賑やかにリズムを取り、掛け声を 掛けたり短い歌を歌ったりして、早乙女たちを激励した。 早く綺麗に、なる べく疲れさせないように田植えをさせる必要があって、発達したのが田楽だ。 また田楽の音を聞いて、農閑期には山に帰っていた田の神様が目を覚まして、 田に下りて来てくれるという効果も狙い、田の神様をお招きするという意味も あった。
田楽のそういう道具を村々では調達できないので、やはりそういう芸能人を 保護している大きな寺や神社に頼みに行き、村々の田植えの時期(暦)に合わ せて、快く貸してもらった田楽の人達が、田楽を鳴り響かせた。 田植えは年 中行事の中で最も大切な祀りであり、田楽はそれと共に発達した非常に重要な 芸能になっていく、日本出来(でき)の芸能といってよいだろう。
けれども、ただでんでん太鼓を叩いたり笛を吹いたりしているだけでは、段々 みんな飽きてしまうというので、何か面白い冗談を言い合ったりしているうち に、物真似をしようとする人物が現れる。 動物の鳴き真似、物真似から、一 人相撲、想像上の鬼の恰好などをして、田んぼの周りで見物している人達を笑 わせ、自分達も同時に面白がるようになる。 本来「態」という字が物真似と いうことなのだが、字を知らない農民たちは、下の心を書き忘れて、上の「能」 という字だけを書いて態(たい)と読み、物真似と読んでいた。 田楽能、申 楽能など「能」というものが出来た原因は態(たい)・物真似ということだった のである。
一方、お盆の「念仏踊り」が変形して「盆踊り」になる。 出雲の須佐神社 で派手な「念仏踊り」を踊っていた阿国という女(一人の固有名詞か、集団の 名前か、わからない)が評判になり、中央志向で京都に出る。 賀茂川の四条 の河原(免税地)で、踊りを見せ、土手の芝に座ってその仕草を見物したとこ ろから、見物する場所を指すのか、見物していることを指すのかわからないけ れど、「芝居」という言葉が生まれたという。
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