山本道子さんの講演「日本人の食と俳句」 ― 2013/05/20 06:32
14日は、新宿区百人町の俳句文学館に、『夏潮』のお仲間、山本道子さんの 「日本人の食と俳句」という講演を聴きに行った。 俳人協会の平成25年度 春季俳句講座の一つである。 山本道子さんは、麹町の村上開新堂の五代目だ。 文明開化で大膳職にいた曽祖父が明治3年、横浜へフランス人に習いに行った のが始まりで、道子さんは三代目(二代目は、その兄)の祖父の回りで遊びな がら、その仕事を見て育った。 祖父は明治28年生れ、極端な西洋化政策へ の反省期の育ちで、「番茶でも食べられるお菓子」と言っていた。 今も「日本 人に合う、ジャンルは洋」、「日本の素材で西洋料理を作る」がテーマだ。
山本道子さんは、高浜虚子の「食」に関する句を挙げながら、話を進めた。 まず<鯖の旬即ちこれを食ひにけり>。 道子さんの仕事の柱は、味見だそう だ。 鯖は、料理人が使ってみたい素材。 締め鯖、塩焼、味噌煮。 塩をふ ると、水気が出る。 それを拭いて、調理する。 この「締める」ことで、鯖 の身を緊張させないと、つまり“はっきりした輪郭”を与えないと、美味しく ない。 味噌煮なら、中まで、味が通じないようにする。 真空パックなどで マリネにすると、味は滲みるが、「締める」のとは緊張感が違う。 鯖を「洋」 に仕立てようとしても、ここを大事にしないと、日本人の舌に合わない。 料 理も、自分の中にある季題に反さないようにつくる必要があるのではないか。
<屠蘇臭くして酒に若かざる憤り>、明治29年、若い22歳ぐらいの、怒っ ちゃったな、という句。 日本人はデリケートな香りが好きだ。 昆布、鰹節 は、ピュアなものとよく合い、澄み切った味の日本料理になる。 澄み切った ものの味わいがわかるのは大変なことで、フランス人のシェフはお茶、緑茶の 味がわからない、美味しくないとは言わず、難しいと言う。 とらえどころが ない。 抹茶はOKで、味に「分厚さ(苦み)」があるからだろう。 祖父はク リームに溶け込ませて、お菓子に使った。 チョコレートも、コーヒーのエス プレッソも同じだ。 ただ、日本人以上に砂糖を入れる。
水の中に溶け込んだ味わいを判定する感性は、日本人のものだ。 静かなう ま味、味わいの中の静けさ。 若い人が、味が濃いのを好んで食べていると、 それがわからなくなるのが心配だ。 紅茶の味わいのわかるイギリス人にも、 水に対する感性、水の文化があるのだろう。
<蕗の薹の舌を逃げゆくにがさかな>。 舌の上で移ろっていく味をつかま えている。 実感として味わい切っていないと、出ない表現だ。 天婦羅だろ うか。 虚子は、舌もなかなかのものだった。 虚子に<灯消えたり卓上に鮓 (すし)の香迷ふ>という句もある。 五目寿司みたいなものか。 明治39 年の句、灯は灯油ランプかと、今でもランプを売っている店があったので、訊 いたら、消した時に臭いは少しする、石油ストーブの1/50位、という答だった。
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