創立150周年、明治学院の落語家たち2013/06/30 06:36

 文久3(1863)年、ヘボン夫妻によって横浜居留地39番の自宅で英学塾「ヘ ボン塾」として創設された明治学院は、今年創立150年を迎えた。 仙台藩の 大童信太夫に育てられたと書いた高橋是清もヘボンに学んでいる。 私が明治 学院の中学を卒業したことは、何度も書いている。 ジェームス・ヘボンは、 プリンストン大学で主に古典を学んだあと、ペンシルバニア大学医学部で学び、 脳卒中の研究で医学博士となった。 ニューヨークで開業医として成功してい たが、日米修好通商条約の翌年の安政6(1859)年、尊王攘夷の嵐が吹き荒れ る幕末日本に、プロテスタント・キリスト教を伝えたいというミッションを抱 いてやって来た。 医療奉仕では、当時眼病トラホームが流行していたので主 に眼科の治療にあたり、外科内科の施療もした。 歌舞伎の名女形、沢村田之 助の右足切断手術を行い、ニューヨークから取り寄せた義足で、田之助は再び 檜舞台に立つことが出来て、大評判となり、手術の様子は錦絵にもなった。

 たまたま春風亭正朝のブログ「正朝通信」を見たら、5月25日「明治学院創 立150周年記念 明学落語会」が、明治学院大学アートホールで開かれたこと が書かれていた。 正朝や柳家権太楼が、明学出身なのは知っていたが、ほか にも明学出身の落語家が6人もいるのだそうだ。 大学落語研究会出身が、権 太楼、正朝のほか、三遊亭右紋、橘家仲蔵、春風亭正太郎、三遊亭ございます の6名。 柳家小せんがブラスバンド部出身で、三遊亭こうもりが明治学院中 学・高校の卒業だという。 三遊亭ございます、三遊亭こうもり、などという 噺家がいることは知らなかった。

 落語会では、開口一番のこうもりが「都々逸親子」、ございますが「やかん」、 正太郎が「引っ越しの夢」、正朝が「抜け雀」、仲入後、大西晴樹学院長・内山 同窓会長・権太楼・正朝の「記念口上」があり、仲蔵が「お菊の皿」、トリの権 太楼が「笠碁」を演じたという。 権太楼も、正朝も、上手いし好きなので、 聴いてみたかった。

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