保険創業と、商売の本質〔昔、書いた福沢6〕2013/07/18 06:24

  等々力短信 第133号 1978(昭和53)年12月5日

〔福沢と商売〕6 わが国最初の保険会社

 毎月、初めの回に福沢諭吉と商売というテーマで書くことにして半年になる。  そろそろ福沢が鼻につくかもしれないが、もうしばらくおつきあい願いたい。

 わが国に科学的保険制度を紹介した最初のものといわれているのが、慶應3 (1867)年の『西洋旅案内』である。 「保険」という訳語はまだなく、福沢 は「災難請合の事」「火災請合」「海上請合」と保険制度を概論的に解説してい る。

 上野の戦争の日に、福沢が講義をやめなかった有名なウェーランドの経済書 の中にも保険の項がある。 その講義を聞いた門下の小幡篤次郎、小泉信吉(信 三の父)、阿部泰蔵、荘田平五郎、早矢仕有的といった人達が、福沢を中心に保 険制度の研究を進め、ついに明治14(1881)年7月9日、わが国最初の保険 会社明治生命の設立に至る。 グループ苦心の保険創業から、あと3年で100 年になる。(2013年の現在、132年)

  等々力短信 第136号 1979(昭和54)年2月5日

〔福沢と商売〕7 世間の不足不自由を達する

 明治2年の「丸屋商社之記」(二十巻22頁)の中で、福沢諭吉は商人の目を つけるべき要点を述べている。 「合衆国貨幣の銘に曰く、合すれば即ち立ち 散(わかる)れば即ち斃ると。 ユーナイテッド・ウヰ・スタンド、セパレー テッド・ウヰ・フォール。 又西洋の古語に曰く、徐々に急ぐ可しと。 メー キ・ハスト・スローリー。」 「又或る老人の咄しに、世間の商家一廻の商ひに 万金を得るものは屡々(しばしば)あれども、十年にして数万金を残す人は稀 なりと。」

 この時、福沢は数え年36歳、もちろん商売の経験もない、なのにこの短い 文章の随所で商売の本質とも思えるものにふれているのを読むと、やはりこの 人の洞察力のすごさを感ぜずにいられない。 藤原銀次郎氏の『福沢先生の言 葉』という本にも引用されていて、強い影響を与えたことがわかる。

「凡そ人の生業は世間の不足不自由を達し吾不足不自由を満足せんとするの 外ならず、他の不自由を達するの大なるものは吾幸福を得るも亦従て大なり」