安岡章太郎『海辺の光景』の発端2013/07/30 06:32

 安岡章太郎さんが1月26日に亡くなり、5月18日に朝日新聞「惜別」の記 事を読んで驚いた。 代表作『海辺の光景』を、ずっと「うみべのこうけい」 だと思っていたのが、「かいへん」と、ルビがあるではないか。 安岡章太郎さ んを読んでいないことに気づいて、『海辺の光景』を読むことにした。 芥川賞 は、1953(昭和28)年に「悪い仲間」「陰気な楽しみ」の二作で受賞している。  『海辺の光景』は1959(昭和34)年の作、芸術選奨、野間文芸賞を受けてい る。

 『海辺の光景』は、安岡さんの故郷、高知湾の海辺のある場所に、母親をタ クシーで送って行った、一年前の思い出から始まる。 古い大型の車で、運転 手のとなりに安岡さんと思しき信太郎が、うしろの座席に父親と伯母とが両側 から母親をはさんで坐っていた。 「K浜ですろう、K浜なら…」ここなのだ がと、運転手はいうけれど、目的の場所をはっきり言いづらくて、うまく着け ない。 信太郎は運転手の耳もとに「永楽園」とささやく。 運転手はわざと、 大声でその名を問いかえし、殊更のような大阪弁になりながら、「ははァ、これ でっか」と、自分の頭を指した手を空(くう)で二三度ふりまわすと、乱暴に ハンドルを廻した。 あとの方に、病名は老耄性痴呆症とある。

 4月25日の「等々力短信」「「老後も独立自尊」のすすめ」に書いた青梅慶友 病院会長の大塚宣夫さんが、7月1日早朝のNHK第一放送ラジオ深夜便「明 日へのことば」で話していた。 大塚さんの所のような設備とスタッフの整っ た老人病院でも、自分達では介護の手に負えなくなった親を最初に入院させる 時は、家族は後ろめたい気持を持ち、患者である親も不満と不安な気持を抱い ているという。 それがいざ入院させ、入院してみると、家族はたいへんな介 護の負担から解放され、患者もプロの手による生活で快適な気分になるのだそ うだ。 それまでのぎくしゃくした関係が嘘のように、お見舞いに行くのが楽 しくなり、患者も家族に会うのが楽しみになる。

 『海辺の光景』は、その一年後、東京にいて父親からの電報を受けた信太郎 が、父とともにタクシーで「永楽園」へ向かう。 「電報は何と打ったんだか な。キトクか?……今晩すぐというほどでもないようだな、まア時間の問題に はちがいないが」