中津、紀州、江戸東京、岡山、愛知、土佐の順2013/08/10 06:31

 それで手元にある本で、利用できるものはないかと考えた。 丸山信編著、 富田正文監修『福沢諭吉とその門下書誌』(慶應通信・1970年)、第2部「門下 生の著作と略歴」を見てみる。 自身の著作と研究書、伝記のある、名を成し た人物に限って収録されているから、全体像は見えないが、ある程度は推測で きるのではないか。 鉄砲洲時代(前期新銭座時代を含む)文久3年春より慶 応4年3月までが、33名、番外6名の計39名、新銭座時代(後期新銭座時代) 慶応4年4月よりが51名、三田移転より明治13年末までが93名、番外13 名の計106名、ここまでの合計で196名が収録されている(番外というのは、 「入社帳」記載順序番号のない、つまり「入社帳」には名前のない人)。

 「入社帳」からと思われる出身地、父または兄弟、入学の時の主人または証 人の記載がある。 しかし、これがけっこう難物で、「参州」「三州」「勢州」、 「三河額田県」「名東県」「飾摩県」「筑摩県」「小田県」「若松県」など、場所が パッと浮ばない地名もある。 北海道開拓の先駆者、依田勉三の入学した明治 7年頃になると、「足柄県第5大区11小区那賀郡大沢村15」などという「大区・ 小区」の表示が行われていたこともわかる。

 196名の内、多少あやしいけれど、豊前・中津22名、紀州・和歌山16名、 武蔵江戸・東京10名、備前・岡山9名、三州・愛知8名、土州・高知8名、 豊後・中津を除く大分6名、安芸備後・広島6名、長州・山口5名、勢州・伊 勢5名、小倉5名、薩摩・鹿児島4名、静岡4名、但馬・豊岡4名、陸中・南 部4名、奥州4名、安房上総4名、越後・長岡3名、肥前・長崎佐賀3名、上 野・群馬3名、阿波・徳島3名などと数えられる。 三藩閥の一つといわれた 「越後・長岡」が少なかった。 薩長も、そう多くはないけれど、いることは いたのだった。 土州・高知の8名の方が多いあたりに、「反薩長」の気分が 出ているのかもしれない。 ちなみに鹿児島出身者は、谷元道之、田尻稲次郎、 寺師宗徳、柏田盛之、長州は宇佐川秀次郎、伊藤欽亮、島田壮介、番外の日原 昌造と藤井清だった。 伊藤欽亮と日原昌造以外は、名前を聞いたことがなか った。