慶應義塾の山川健次郎は帝大総長とは別人2013/08/22 06:28

 会津出身の山川健次郎や大山捨松、さらには山本覚馬や「万国公法」に及ん だ今回のシリーズだが、そもそもは8月9日の「「薩長」と「反薩長」、塾生の 出身地は?」から、11日の「山川健次郎は慶應義塾で学んだか?」という疑問 に至って始まった。 丸山信編著『福沢諭吉とその門下書誌』の「門下生の著 作と略歴」に、帝大総長、以後京大、九大総長歴任した山川健次郎が、慶應義 塾「入社帳」に名前がある山川健次郎だとしていたからである。 しかし、い ろいろな本や資料に、山川健次郎が慶應義塾で学んだという記述はなかった。

これを見れば何か手がかりがあるだろうと、頼んでおいた『慶應義塾150年 史資料集―基礎資料編』第一巻『塾員塾生資料集成』が、20日手元に届いた。  「入社帳」と、在学時の成績表である「学業勤惰表」、卒業後の住所や職業が記 載されている「塾員名簿」(明治23年以降作成)の三種類のデータを、個人別 にまとめて利用しやすい人名資料集にした742頁の大冊である。

さっそく、「や」-91 山川健次郎を見る。 「入社帳」a.(出身藩府県) c. (身分)f.(父兄氏名および間柄)h.(年齢)i.(保証人姓名(保証人身分)) j.(保証人住所)k.(入社年月日)m.(『慶応義塾入社帳 復刻版』の掲載ペー ジ)と、「学業勤惰表」からn.(期間と等級)2行があるだけで、「塾員名簿」 の記述(略歴)はない。 a.印旛県  c.農 f.山川又平・〔息子〕 h.18歳 i.伊東晴庵 j.東京第1大 区東松下町 k.〔明治6年〕3月7日 m.I590 n.建二郎、健三郎 6年3月 ~8月 変則/等外二番ノ二 6年9月~12月 変則/第九等

『塾員塾生資料集成』に、その旨の記述はないけれど、これを見る限り、こ の「山川健次郎」は会津出身の山川健次郎とは、同姓同名の別人と考えてよい のではないか。 「山川健次郎」は〔明治6年〕3月7日慶應義塾に入社(塾) しており、会津の山川健次郎は明治4(1871)年正月元旦アメリカへ出発、4 年半の留学を終えたのは、明治8(1875)年5月だったからだ。 丸山信編著 『福沢諭吉とその門下書誌』の記述が、何を根拠にしているのかわからないが、 誤りと断じてよいのではないだろうか。