丸谷才一小説の原点 ― 2013/11/01 06:46
丸谷才一さんは、「英国人はなぜ皇太子を小説に書かないか」でも分かるよう に、自分の原点として「不思議だと思うことを大事にしてきた」そうだ。 子 供のころ、日中戦争のさなかにアメリカと開戦と聞き「なぜ大国と戦争するの か。日本は不思議な国だ」と思ったという。 編集者に「謎を育て、簡単に解 決しようと思ってはいけない」と言い、何より考えることを好んだ。
「学問も芸術も面白がることが大事です」という丸谷さんの文学活動は、さ まざまな分野にわたっている。 一つは、ゴシップ、ユーモア、奇想、新説を ちりばめたエッセイ。 そして、書評。 だが中心は、長篇小説で、これも少 年時代に陰々滅々とした私小説中心の日本文学を「つまらない」と思ったこと に端を発している、丸谷さんの長い闘いであった。
『別れの挨拶』の「十九世紀と文学と遊び心」は、その「陰々滅々」の原因 をくわしく語っている。 まず、樋口一葉の『たけくらべ』(明治29(1896) 年)と、田山花袋の『田舎教師』(明治42(1909)年)の冒頭部分を比較する。 一葉が文語体、七五調によりかかった江戸時代の人情本や読本の文体で、縁語、 掛け詞(ことば)の技法をふんだんに使っているのに、花袋は無愛想な散文で、 色気も曲もなく、ばさばさと叙述している。 たった約十年の差なのに。 そ れは日露戦争のころ、大仕掛けな文学革命が勃発したせいだった。
一葉や、尾崎紅葉のひきいる硯友社一派、幸田露伴や森鴎外は、ロマン主義 の骨法で行っていた。 ところが、日露戦争前後に、写実主義文学、自然主義 小説が日本に到来して、わが文学を一変させた。 写実主義で行こう、在来の ロマンチックなきれい事、抒情性や感傷癖や美化を排して、ずけずけ(丸谷さ んだと「づけづけ」)と物事を語ろうという立場だ。
日本近代文学は、遊戯性を衰退させ、遊び心の薄れたヨーロッパ十九世紀文 学を師匠筋にして出発したために、大まじめで、厳粛な、おもしろみのないも のになってしまった。 このことは明治文学の深刻好き、大正文学の芸術至上 主義イデオロギー、私小説という一種擬似宗教みたいな告白好き、昭和初年の プロレタリア文学の硬直した態度を見てもわかる。
一番典型的な例は、与謝野晶子の<鎌倉や御仏なれど釈迦牟尼は美男におは す夏木立かな>を、アララギ派の歌人伊藤左千夫が攻撃した批評。 まるで花 柳界の女のようである、なんてくさした。 その機智のおもしろさ、社交的な 機転のきいたものの言いつぶしのよさが、全然わかっていない。 これは儒教 的禁忌と武士道精神と仏教的抑圧とが三つ重なった暴言だ。 美男を見て、あ あすてきだなと思うのがいけないのでは、『源氏物語』の光源氏への敬愛なんか、 不道徳の極致じゃありませんか。
丸谷さんの論は、文学だけでなく、近代日本の芸術はみな、そうで、ヨーロ ッパ十九世紀の影響を受けて、遊戯性を欠いた大まじめなものになったと進む。 その最大の被害者は、遊び心のかたまりのようなものである、歌舞伎だったか もしれない、と。
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