市馬の「試し酒」(下)2013/11/12 06:32

 いい酒だ、べとべとしている、いつもこんな酒をやっているだかね、旦那様、 ウチも今度からこの酒にしましょう。 唐土(もろこし)の儀狄(ぎてき)と いう人が、酒をこしらえたそうで、ときの王様がお飲みになって、結構な物だ が、こしらえてはならねえ、これを飲み過ぎると身を滅ぼし、果ては国を滅ぼ すと、叱言ぶったそうで。(と、二杯目を飲み干す)

お前に、唐土の講釈を聞こうとは、思わなかったな。 おら、子供の頃から 飲んでただからな。 お前、酒が一番好きか? やっぱり、金かなあ。 一生 懸命働いて、金を貯めて故郷(くに)に帰って田地田畑でも買うのかい。 い や、そんなしみったれた料簡はねえ、貯めただけそっくり飲んじまうだ。 故 郷は昔から酒飲みの出たところで、丹波の大江山、酒呑童子の出たところだ。  あれはおらの親戚だ、ってのは嘘だけれど…。 はっはっは、いい心持になっ てきた。 唄や踊りはできねえだけど、文句ぐれえは知ってるだよ。 都々逸 なんてのは、いい文句があるねえ。 「お酒飲む人花ならつぼみ、今日もさけ さけ明日も酒」なんて、うめえことをいうなあ(と、飲み)。 「雨戸たたいて もし酒屋さん、無理言わぬ酒頂戴ね」なんてね、夫婦の情ですかね。 「明け の鐘ごんと鳴る頃三日月形の、櫛が落ちてる四畳半」、なんの事だか知んねえけ ども(と、飲む)。 「水に油を落とせば開く、おとしてつぼまる尻の穴」なん てね(と、飲み)、「酒は米の水、水戸様は丸に水」なんてね、「意見する奴ァ向 う見ず(水)」だ、はっはっは、(と、陽気に大声になって、飲み干す)。

あと二杯だ。 近江屋さん、驚いたな、こっちが旗色が悪い、心細くなって きたよ。 でも昔、柳橋の万八なんて料亭で酒仙会があって、酒豪が集って飲 む競争をしてね、三つ組の盃、二升何合か入ったのを、飲み干せた者がほとん どいなかったとという。 これからが勝負だ。 すごいね、鯨飲馬食なんてえ が、どうも驚いたもんだな、ほら四升あけました。 だが蕎麦や大福の大食い と同じだ、最後の一杯、これでへこたれるってやつだ。

(すっかり酩酊して)さァ、どんどんついでくだせえ。 旦那様、大丈夫だ よ、おらァ。 へこたれねえだから。 お互え、気を揉ましては気の毒だから、 早えとこ片ァつけるか。 見ててくだせえ、おら一滴(ひとしずく)も残さね えから。 (流し込むように、一気に飲み干す) どうだ、飲んだろう。

見ました、見届けました。 お見事だ。 一つ聞きたいことがある。 なん だ、あと何杯飲む…。 さっき考えさせてくれといって、表に出たな、いった い何をして来たんだ。 はっはっは、あれは何でもねえだよ、おら五升ときま った酒飲んだことがねえだ。 心配でなんねえから、表の酒屋へ行って、試し に五升飲んできたよ。