北口本宮冨士浅間神社 ― 2013/11/15 06:42
昼食後向かったのが、北口本宮冨士浅間神社(富士吉田市)だ。 神社のパ ンフレットに、うかんむりでない「冨士」とある。 巨木の生い茂る風格のあ る立派な神社なのには、驚いた。 御祭神は、木花開耶姫命(このはなさくや ひめのみこと)(13日に書いた「木花之開耶姫(このはなのさくやびめ)」は、 『広辞苑』の表記)、その夫神の天孫彦火瓊々杵尊(てんそんひこほのににぎの みこと)、大山祇神(おおやまずみのかみ)。 大山祇神は、記紀神話中の山の 神で、イザナキノミコトとイザナミノミコトの子、木花開耶姫命の父。 神社 の由緒は、日本武尊(やまとたけるのみこと)東征の折、当地を通過し、富士 山の神霊を遥拝、「北方に美しく広がる裾野をもつ富士は、この地より拝すべし」 と勅(みことのり)されたことにあるという。 古代、富士のような高い山、 美しい山は、神のおわす山として、人が入ることは禁忌で、この地がご神体の 富士山を遙かに拝み、祭祀を行う場所だった。 現在、拝殿を囲んでいる巨木 は、その神域を物語っており、拝殿前両脇の御神木「富士太郎杉」「富士夫婦檜」 は樹齢千年だそうだ。
平安時代、仏教の影響で登山を実践して修行する山岳信仰、修験道が広まり、 富士講が出現した。 中世になると、修行者以外の一般の人々(道者)の登山 も増え、御山に登ること即ち祈りとする「登拝」で、山頂を目指すようになっ た。 江戸時代に入ると、富士講が盛んになり、多くの参拝者が富士詣(富士 登山)をした。 女人禁制だったが、天保3(1832)年、高山たつが女性とし て初登頂したという。 「高山」「たつ」は通称でなく本名だろう、苗字のある 身分の人だったわけだ。
なお、静岡県側の富士宮市の富士山本宮浅間大社(ほんぐうせんげんたいし ゃ)は、富士山頂上に奥宮を持つ、全国に約1300社ある浅間神社の総本社。 主祭神は、『古事記』の表記で、木花之佐久夜毘売命(このはなのさくやひめの みこと)、配神は、瓊々杵尊(ににぎのみこと)と大山祇神(おおやまずみのか み)、これは北口本宮冨士浅間神社と同じだ。 富士山には、その美しい山容か ら女神と見る信仰が古くよりあり、平安前期の文章博士・都良香(みやこのよ しか)の「富士山記」に「浅間大神」として、『竹取物語』には「かぐや姫」の 名でその表現があるという。 そして、これに『古事記』『日本書紀』にあるコ ノハナノサクヤヒメが当てられたのは、近世に入ってからのようで、それまで は「浅間神」の名で信仰されていたらしい。 富士山の神霊をコノハナノサク ヤヒメに当てる文献の初見は、江戸時代初期の『集雲和尚遺稿』だそうだ。 「コ ノハナ(木花)」は桜の古名といわれ、美しい女性を表現する。 神話にあるコ ノハナノサクヤヒメの火中での出産(後でふれる予定)も、火山にまつわる事 象として意識されたのではないかという。 「浅間(せんげん)」の古称「あさ ま」も、浅間山・阿蘇山に見られるように、「火山」を表わす呼称らしい。
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