「三十六富士」に25年かけた版画家・萩原英雄 ― 2013/11/19 06:35
落語が、富士山世界文化遺産登録の要因中の、「芸術の源泉」に関わるかどう かは、ちょっと怪しいが、10月20日のNHK「日曜美術館」でやっていた「生 涯 富士を彫る」の版画家・萩原英雄なら、間違いのないところだろう。 私 は、この人のことも作品も知らなかった。 萩原英雄(はぎわらひでお 1913 (大正2)年~2007(平成19)年)は、山梨県甲府市出身、東京美術学校(東 京藝術大学)で油絵を学んだが、戦後結核を患い、療養生活を送るなかで版画 の制作を始めた。 そして、独創的で多彩な技法を駆使した、独自の木版画を 生みだして行くのだ。 40代で既に異色の抽象版画家として、世界でも高い評 価を受けていたが、ある時期を境に、ひたすら富士山に向かうようになる。
そして実に25年の歳月をかけて、葛飾北斎「富嶽三十六景」の約150年後、 北斎に挑戦するかのように36枚の版画シリーズ「三十六富士」を完成させた。 東京から山梨県に至る、いろいろの場所で、千変万化の富士の四季を、色彩豊 かに描いた。 新宿の高層ビルや、中央高速も登場するのだ。 萩原英雄がど んな富士山を描いたのか、興味をお持ちだろう。 山梨県立美術館で12月8 日まで「生誕100年 萩原英雄展」が開かれている。 「三十六富士」の内、 「雨後幻想」と「石和早春」を下記のサイトで見ることができる。
http://www.art-museum.pref.yamanashi.jp/exhibition/specialexhibit_201310.html
萩原作品に見られる画面に奥行を与える重層的な色彩や、引っ掻いたような 細い線は、木版画の新たな表現を追求したものだ。 番組に、版画制作の助手 を務めた三男・襄さんによる作品の再現があった。 彫刻刀の工夫はもちろん、 ベニヤ板を版木にしたり、版画には使わない絵具や、さまざまな「ばれん」(版 木の上に当てた紙の上をこする道具)を使ったり、何度も摺りを重ね、紙の濡 らしの頃合いにも工夫している。 そうした不断の創意工夫と試行錯誤が、従 来の木版画界に衝撃を与え、「近代木版画の祖」といわれた萩原英雄の技術の奥 深さをもたらした。
襄さんが一枚の版画を出して来た。 包みをほどきながら、厳しいことばか り言われていた父親の、真情を思って、涙を流した。 その版画には「父生(あ) れし 母あれし 亦吾生れし 甲斐は山国 富士のある国」とあり、「父母を恋 ふ 私の詩」という題があった。 富士山への強烈な執心は、生れ育った山梨、 そして父母を想う気持と密接に結びついていたのである。
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