福沢諭吉の『帝室論』〔昔、書いた福沢8〕 ― 2013/11/23 06:35
福沢に直接関係がなくても、関連で書いているものも、引くことにする。 11月23日、勤労感謝の日は、もとの新嘗祭の日だ。
等々力短信 第174号 1980(昭和55)年3月5日
皇居新宮殿の素晴らしさ
東京サミットの時、朝日新聞が西独のシュミット首相と単独会見した。 会 見後の雑談の中で、シュミットは、ホテル・ニュー・オータニ・タワーの最上 階の窓から東京の街を見下ろしながら、「自分がいま立っているこのホテルにし ても、そこらに見える立派なビルにしても、あんなものはちょっと金があれば、 アフリカの土人でも建てられる。しかし、皇居の宮殿だけは世界に決してない。 日本にしかないものだ」といったそうだ。
先日、昨年の御講書始と歌会始の両方に招かれたヨゼフ・ピタウ上智大学々 長の講演を聴いた。 ピタウ氏も新宮殿の素晴らしさを、「静けさと落着き」、 「簡素さと荘厳さ」、「日本風と西洋風の見事な調和――美を愛する日本の伝統 を生かしながら、新しいものをも取り入れた」と表現した。
23日の朝、その静けさの中を冠のひもを切るハサミの音が響いた。 あれは 確かにゾーリンゲンではなかった。 (註・1980(昭和55)年2月23日、皇太子浩宮徳仁親王20歳の成年式が行わ れた。)
等々力短信 第175号 1980(昭和55)年3月15日
福沢諭吉の『帝室論』
前回のヨゼフ・ピタウさんが、皇居で静かに儀式を待つ間に思い出したのは 福沢諭吉の言葉だったという。
明治15(1882)年、国会開設を前に政党間の争いが激しくなり、皇室をそ の政争に利用しようとする官権党の動きがあった。 これに対し福沢は『帝室 論』(全集第五巻)を著し、「帝室は政治社外のものなり」、「帝室は万機を統(す べ)るものなり、万機に当るものに非ず」、「我帝室は日本人民の精神を収攬す るの中心なり。その功徳至大なりと云ふ可し」といい、政党の争いは、火の如 く水の如く、盛夏の如く厳冬の如くであろうけれども、「帝室は独り万年の春に して、人民これを仰げば悠然と」して和気を催ふす可し」と書いた。
皇太子殿下は今の浩宮の年の頃、小泉信三さんと交る交る『帝室論』を音読 し、喉が痛いといって途中でやめたこともあったという記事が、『小泉信三全集』 十六巻に見える。
あと二年で、『帝室論』百年になる。 (註・2013年の今年は、『帝室論』百三十一年。)
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