平易で達意の文章〔昔、書いた福沢9〕 ― 2013/11/24 07:14
等々力短信 第180号 1980(昭和55)年5月5日
桑原武夫著『文章作法』
以後「人さまに迷惑をかけない文章」を書くために、桑原武夫さんの『文章 作法』という本(潮出版社)を読んだ。 天才でも「もの書き」でもないタダ の人が文章を書くのは、自分の考えたことや知っていることを、メッセージと してはっきり相手に伝えるためであるから、できるだけ簡潔明瞭に、達意の文 章でありたい。 そして可能なかぎり論理的に、というのが理想だと教える。
文章はできるだけシンプルに、すなおに、飾らずに、短くということが強調 される一方、紋切型、きまり文句、抽象名詞や観念的な言葉、できあいの言葉 を使った「にせ学者風の文章」が徹底的にやっつけられている。 一つの文章 を書くことは、「それがもし書かれなかったならば、この世に見過ごされ、気づ かれずにおわったことが生じる」のだから、大変大事なことだという言葉が、 すばらしい。
このハガキを読むまで、この本を知らなかった人がいるかもしれない。 ご 紹介まで。
等々力短信 第181号 1980(昭和55)年5月15日
福沢文章のやさしさと緒方洪庵
福沢諭吉の『西洋事情』、『学問のすすめ』といった著作が、当時、字を読め る人ならだれもが読んだというほどの超ベストセラーとなった原因の、大きな 一つに、その文章のやさしさと、面白さとがあった。 福沢は全集の緒言(明 治30年)の中で、自分の文章が平易で読みやすいのは世間の評論も認め、自 分も信じて疑わないところだとして、その由来を述べている。
師の緒方洪庵は温厚な人であったが、文事には大胆だった。 そもそも翻訳 というものは原書を読めない人のためにするものだといい、原書を「軽蔑して 眼中に置かず」という態度で、細かい字句にはこだわらず、読みやすい訳文を 書かせた。 緒方が原書なしに、訳文を添削しているのも目撃している。
福沢は、山出しの下女に障子越しに聞かせても、何の本かわかるように心が け、「世俗通用の俗文を以て、世俗を文明に導くこと」に成功した。
等々力短信 第182号 1980(昭和55)年5月25日
学問の成果をやさしく書く
私は地球物理学者の竹内均さんのファンである。 月面からの中継を夜中に 起き出して見た頃からの、主にテレビを通じての、おつきあいだ。
五月祭だかで、学生に「大陸が動くといって飯を食い」と書かれたとかいい ながら、地球物理学の最新の成果をうれしそうに解説する姿は、自分の経験し た学問の面白さを、みんなに話さずにはいられないという風情がある。 この 人の文章を読むと、寺田寅彦、中谷宇吉郎という流れを感ずる。 科学者が専 門の学問の成果を、素人にもわかるように、やさしく書くという仕事は大切な 仕事である。 それには学問も一流で、しかも達意の文章の書ける人がなけれ ばならない。
竹内さんはこまぎれの時間を有効に使って、原稿用紙数枚単位の仕事をコツ コツと積み上げ、それらを打って一丸として、一つの意味を持ったものに仕上 げ、著作として自らの個性を世に問わねばならぬ、といっている。
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