福沢諭吉の一万円札〔昔、書いた福沢10〕2013/11/25 05:50

   等々力短信 第222号 1981(昭和56)年7月15日

新一万円札、福沢はゴメン

 昭和59(1984)年秋、福沢諭吉一万円札発行の際、慶應の卒業生には見本 として百枚、私のような福沢諭吉協会々員には、さらに百枚が贈られることに なった。 この話、すこぶる怪しい。 なぜなら、私が作ったのだから。

 新聞は福沢家、慶應関係者の手ばなしの喜びようを伝えているが、地下の福 沢さんに聞けば、辞退するに違いないと、私は思う。

 福沢は再三の明治政府の召命を謝絶したばかりでなく、国家につくした功労 を誉めようとする政府に「車屋は車を引き、豆腐屋は豆腐を拵へ、書生は書を 読むといふのは、人間当前の仕事をしているのだ。其仕事をしている者を誉め るなら先づ隣の豆腐屋から誉めて貰はねばならぬ」と、断った。(『福翁自伝』)

 そして叙位叙勲の話が出るたびに謝絶するか、予防につとめた。 「爵位の 如きただこれ飼犬の首輪に異ならず」(明治30年『福翁百話』九十四)

 一万円札に「働く豆腐屋はいかが」。                       (短信第222号終り)

 『福澤諭吉事典』の索引を見たが、「一万円札」はなかった。 福沢諭吉の一 万円札は、C号券という聖徳太子に替って、D号券(裏は雉(キジ))が1984 (昭和59)年11月1日から発行され(2007年4月2日まで)、現在のE号券 (裏は平等院の鳳凰像)が2004(平成16)年11月1日から発行されている。

年年歳歳の紅葉<等々力短信 第1053号 2013.11.25.>2013/11/25 05:52

 「そうだ 京都、行こう。」 この「盛秋」、JR東海のCMは南禅寺の天授庵、 長塚京三の声で、「京都の秋は、今年で何年目でしょう。毎年紅葉をと不思議が られたりします。でも歳歳年年人同じからず、来るたびに感じることが違う。 今年の紅葉を、今年の私が見て、さて何を思うでありましょう」。 しっとりと 霧に濡れた天授庵の映像が魅力的である。 ついJR東海ツアーズのキャンペ ーンに乗せられて17日、「天授庵と京都紅葉ハイライト」の旅に出かけた。 西 本願寺に寄ったあと、南禅寺と醍醐寺、東福寺を巡った。 昨年は、“紅葉”盛 りの東福寺を、11月20日に訪れている。 「年年歳歳“紅葉”相似たり」で はない、今年の東福寺は、まだまだなのであった。

 JR東海のこのCM、20年になるのだそうだ。 「盛秋」の“紅葉”、昨年は 「紅葉は、旅の入り口に過ぎませんでした」の二尊院、2011年が「いい秋です ね、と言葉をかわしあえる。それだけで、うれしい」毘沙門堂、2010年は会津 藩本陣のあった金戒光明寺、「2009年の秋。今わたしたちは日本の歴史のどの あたりを歩いているのだろう」光明寺、その前は三千院、大覚寺、曼珠院、善 峯寺、清水寺、2003年がなくて、真如堂、醍醐寺、光明院(東福寺)、法然院、 泉涌寺、東福寺、1996年が永観堂と高桐院(大徳寺)、95年が南禅寺と源光庵、 94年が祇王寺・神護寺・高雄・北山、初めの1993年が清水寺・蓮華寺・三千 院・常寂光寺・地蔵院と、京都の“紅葉”の名所のオールスターキャストだ。  2008年には“紅葉”ではなく、「中秋の名月。風情のある言葉です。ひさびさ に口にしました」の本堂を見下ろすポスターに惹かれて、泉涌寺を訪れた。

 今回のコース、南禅寺には何度か来たことがあったけれど、塔頭寺院の天授 庵は初めてだった。 キャンペーンで取り上げなければ、見ることがなかっただ ろう。 この旅では、一番の紅葉だった。 「醍醐の花見」の醍醐寺も、初め て行った。 2001年のCM「「醍醐寺と醍醐味」は、きっとカンケイがあると、 思っていました。」「ほぼ一山まるごとお寺でした。山のてっぺんからここまで、 紅葉前線が境内を下りて来るのに、一週間はかかるでしょうか。ふらっと寄っ て、すぐ失礼するつもりが、どうやらたっぷり一日を過すことになりそうです。」 という通りの、いいお寺だった。

 今回、息子に声をかけると、珍しく行くと言う。 嬉しかった。 家族旅行 は、ずいぶん久し振りである。 彼が幼い時、叔母に連れられ西本願寺に祖母 の供養に来たことがあった。 間に合わなくなって失礼した、天水桶の脇にマ ーキングの臭いがあるか、と訊いて、笑い合った。 年を取った両親に付き合 って見た、京都の“紅葉”だが、十年後、二十年後に彼が見て、「さて何を思う でありましょう」か。