佐藤允彦さんのジャズ・ピアノで新年会2014/02/01 06:36

 24日の夜、代官山ヒルサイドテラスのバンケットという素敵な雰囲気の会場 で、仲間内の情報交流会の“卒業50周年の新春を言祝ぐ”新年会を催した。  ヒルサイドテラスのオーナー朝倉健吾さんは、仲間の一人で、私とは同じクラ スだった。 素晴らしいピアノがある話は、以前から聞いていた。 ベーゼン ドルファーフルコン、最近もオーストリアに送って整備してきたばかりだそう だ。 そこへ同期で国際的なジャズ・ピアニストの佐藤允彦さんに来てもらい、 女性ヴォーカルの上杉亜希子さんと共に、演奏してもらおうということになっ たのだ。 ゲストも交え、いつもより少し多い45名ほどが参加、並びのレス トランから料理をとり、ビュッフェスタイルながら着席してゆったりと、豊か な時間を楽しむことができた。

 佐藤允彦さんの演奏はまことに素晴らしく、慶應のカレッジソングまで入れ 込んでサービス満点、弟子の「歌姫」上杉さんのヴォーカルも情熱的で、ひさ しぶりにジャズを堪能することができた。 会場の雰囲気とあいまって、おか げで情報交流会、粋で洒落た文化的な一面をちょっぴり披露して、株も数円高 というところだろうか。

 演奏曲目は、次の通り。 まず佐藤さんのピアノで、私には題名のわからな い、エド・サリバン・ショー司会者スティーブ・アレン作曲の曲。 事前にリ クエストのあった“Take the A train”。 ナット・キング・コールでヒットし た“Mona Lisa”。 同じ時代に青春を過ごした選曲である。 リクエストでコ ール・ポーターの“Begin the begin”。 お題“丘”ということで、“Fool on the hill”(ビートルズかな)から早慶戦に勝った時に歌う「丘の上」へ。 三田の “丘”の上では、豊田章男トヨタ自動車社長(当日記12月27日~29日)と 同じく、ほとんど勉強をしなかったから、この取り合わせには、苦笑いする。

ここで「歌姫」登場、師匠の佐藤さんも今夜の客も父とちょうど同じ歳で、 違和感がないと言う。 もちろん佐藤さんのピアノで、“Moon river”(オード リー・ヘップバーン『ティファニーで朝食を』)、シンディ・ローパーも歌った “Time after time”、スタンダードのバラードで“My funny Valentine”、“My favorite things”(『サウンド・オブ・ミュージック』)。 アンコールは“Route 66”、上杉亜希子さんはこの歌の中で、われわれの情報交流会の名前を連呼し てくれた。 そして締めは「慶應讃歌」と「若き血」、こんな良い伴奏で歌った ことはなかった。

佐藤允彦さんの出発、そして落語とジャズ2014/02/02 07:46

 佐藤允彦さん、慶應高校の一年生の時から、毎日放課後、銀座のキャバレー へ通っていたという。 ピアノは小さい頃から弾いていて、慶應普通部時代は 音楽学校へ進む勉強もした。 父上の事業が傾いて、何かしなければならない。  母上が時代はジャズだろうという。 ピアノを弾いていたら、煙突掃除の人が 聞いて、ジャズのアレンジをする先生を紹介してくれた。 その先生が、銀座 のキャバレーへ連れて行って、バンドの演奏を見学していなさいと言った。 一 年通ったら、バンドが交代して、たまたまそこにピアニストがいなかった。 高 校一年生から、稼いでいた。 予習復習は出来ないから、授業は懸命に聴いた という。 そんな苦労を、同級生は全く知らなかったようだ。 大学卒業後、 米国バークリー音楽院に留学して、作曲と編曲を学ぶ。

 佐藤允彦さん、たいへんな落語好きらしい。 志ん生の「火焔太鼓」、円生の 「正札附」、文楽の「野崎」など、噺家の出囃子を、メドレーのジャズにした。  それを『江戸戯楽』というCDにしている。 佐藤さんの本『一拍遅れの一番 乗り』(2002年/スパイス・カンパニー刊)には、「落語とジャズの粋な関係」 という一文がある。 ジャズ・ミュージシャンには落語好きが多く、噺家の師 匠連にはジャズ通が多い。 佐藤さんは、落語とジャズの共通項を考えて、「庶 民の芸能」、「即興性」、「紅灯街」(ジャズはニューオーリンズの紅灯街ストーリ ーヴィルで生れ、禁酒法時代のジャズはギャングの庇護のもと、シカゴやカン ザスシティーのもぐり酒場やナイトクラブで育った)、「粋」(落語もジャズも、 伝承のなかで洗練されてきた)を列挙する。 そして、「鰍沢(かじかざわ)」 「黄金餅」「死神」「心眼」「大仏餅」など、いわば落語のスタンダードナンバー を多く残した三遊亭圓朝が没したのが1900年、その世紀の変わり目に後年ジ ャズで大きな役割を果たすことになる人物が生まれているのは、何となく面白 いという。 1898年ジョージ・ガーシュイン、1899年デューク・エリントン、 1900年ルイ・アームストロング。 さらに、1950~60年代、ジヤズの黄金期 は、また落語の絶頂期でもあった、と書いているのである。

八っつあんはジャズ通だった2014/02/03 06:32

1月25日の「等々力短信」第1055号「静(せい)」の歌会始に、苗字と名 前の間に「の」が入る話を書いた。 すると佐藤允彦さんの『一拍遅れの一番 乗り』に「ヤァヤァ我こそは」という文章があった。 御隠居と大工の八っつ あんが問答をする。 満腹寺でビワくれるってえから行ったら、坊さんがベベ ンベンベンと琵琶弾いてなんだか辛気くせえフシうなった。 なんでも熊谷さ んてえのとナオザネさんと次郎さんが出てくる話で。 それは一人の名前だ、 「熊谷の次郎直実」と、昔の武将は自分の領地や住んでいる土地を名の前につ けて「名乗り」をした、武士ばかりではない、侠客も「清水の次郎長」「森の石 松」なんて、『の』を入れたもんだ。

「誰でもそうだったんですかい」「まあたいがいはな」「ミュージシャンで も?」「もとはそうじゃ」「じゃ聞きますがね、マイルス・デビスはどこに住ん でたんで?」「舞鶴じゃな。舞鶴のデビス」「オスカー・ピーターソンは?」「大 塚のピーターソン」「チャーリー・パーカーはどこです?」「これは場所ではな い。彼はもと槍の名人だ」「へ? 槍ってあの長い?」「うむ。血槍のパーカー」 「へぇぇこりゃ驚いた。じゃ、ディオン・ワーウイックは?」「京都の舞妓だっ たな」「えーっ、なんで?」「祇園のワーウイック」

「なんだか怪しいな。御隠居はひとをからかうときはすぐわかるんだよ。鼻 の穴がふくらむから。デューク・エリントンは伯爵だったてぇのは本当ですか い?」「いや、そんなものではない。あれはお前と同業だな」「大工?」「うむ、 大工(でぇく)のエリントン」

「御隠居、今日は冴えてるね。ボーカルはどうです。サラ・ボーン」「品川出 身、伊皿子のボーン」「ちょっと苦しかったね。カーメン・マクレェ」「この人 唄はうまかったがついに運転免許とれずじまいだったな。仮免のマクレェ」「こ りゃ参ったね。じゃ、エラ・フィッツジェラルド」「顎の形に特徴があったな。 鰓のフィッツジェラルド。ところで八っつあん、吉祥寺からすぐれた人材が輩 出しておるが御存知か?」「へぇ、初耳ですね。誰です?」「ざっと見渡して、 吉祥寺のガーシュイン、吉祥寺のベンソン、はっはっは……」

これを読むと、佐藤允彦さんが、私と同じ好みを持っていることが分かる。  実はこれ、私が知っている名前だけを拾ったので、実際には八っつあん、アレ ンジャーなんぞまで含めて、この五倍はジャズメンの名前を知っているジャズ 通なのであった。

そういえば平成元年、私は戯れに友人の病院長に手紙術の免許皆伝状を授けた時、大日本五之日五百倍馬場流手紙術 家元 馬場小路好麻呂(ばばのこう じすきまろ)を名乗っていた。

「マラ」と「ラ・マラ」どのくらい違うか?2014/02/04 06:36

ジャズ・ピアニストには、同好の士が多いようで、佐藤允彦さんの『一拍遅 れの一番乗り』の「どのくらい違う?」には、前田御大とハネケン、前田憲男 さんと羽田健太郎さんが登場する。 「マラゲーニャとラ・マラゲーニャは違 う曲ですか?」と聞かれた前田御大、「違う曲です」「そりゃ、タバコと下駄箱 ぐらい違うんだよ」と答えたそうだ。 マラゲーニャは、スペイン・アンダル シアの地中海に面した港、マラガ地方の舞踏・民謡曲。 その旋法やリズムを 取り入れて『マラゲーニャ』と名づけられた作品がクラシックには複数ある。  サラサーテの『八つのスペイン舞曲』のなかに一つ、同じスペインの作曲家ア ルベニスのピアノ組曲『エスパーニャ』のなかに一つ。 さらにそれをクライ スラーがバイオリンに編曲したもの。 一方、『ラ・マラゲーニャ』はラテン・ ナンバーで、その昔トリオ・ロス・パンチョスでヒットした。 だから当然全 く違う曲である。

「タバコと下駄箱ぐらい違うんだよ」という、この話を漏れ聞いた佐藤允彦 さんとハネケンさん、「うーんさすがだなぁ、おれたちもそれに匹敵するやつを 考えなくっちゃ」となった。 ハネケン・バージョンは「醍醐味 と 粗大ゴ ミ」ぐらい違う。 次に会った時「ひとつ考えたよ」と、「パンジー と チン パンジー」ぐらい違う。 なかなかの出来だ、と佐藤允彦さん、自分も作った。  作ったは、作ったは…、66個も並べている。

「居留守 と マイルス」「イマジン と 大魔神」「陰謀 と オーバー・ ザ・レインボウ」「志ん生 と 心身症」「小さん と 奴さん」「ウドと エチ ュード」「イラン と おいらん」「イラク と 墜落」「イギリス と キリギ リス」「ラテン と カメラ店」「詭弁 と 駅弁」「答弁 と ベートーベン」 「第九 と 日曜大工」「宇宙 と 焼酎」「遺憾 と 警官」「市長 と 警視 庁」「季節 と 不適切」「障子 と 不祥事」「あぐら と バイアグラ」「上 司 と 腹上死」「内縁 と 口内炎」「婦人 と 理不尽」「井の頭 と 良い のかしら?」「野方 と オノオノガタ」「ラッパ と 原っぱ」「絣 と 垢す り」「グッチ と 非常口」「シャネル と わしゃ寝る」ぐらい違うんだよォ ォォォー。 あぁ疲れた。

と、書いているけれど、その中からこれだけ、打ち出した私も、あぁ疲れた。  でも、それぞれ、二題噺の小咄になりそうな気もする取り合わせではある。 私 も校歌関連で一つ思いついた、「進取の精神 と 真宗の精神」ぐらい違う。 早 稲田大学は浄土真宗じゃあないよね。

「民営化だけが良しだったのか?」2014/02/05 06:36

 2012年11月25日の「等々力短信」第1041号に「「地下鉄の父」早川徳次」 を書いた。 それを大学の同級生で帝都高速度交通営団(現・東京地下鉄株式 会社、愛称「東京メトロ))に勤めていたT君に送り、電話をもらって、いろい ろと聞いた話を2012年12月2日の当日記「「営団」から東京地下鉄株式会社 へ」に書いた。 彼の意見では、鉄道や航空などの旅客輸送事業は、膨大な資 本を必要とする装置産業で、かつ労働集約的なので、本来、公共事業としての 性格を持っている。 配当を目的に利益を上げる株式会社とは、相容れない面 があると言う。 安全運転(航)を第一に考えると、採算性や合理化ばかり考 える経営では心配だと、言うのであった。

 その流れで、ときどきT君から電話をもらう。 最近のJR北海道の不祥事 やトラブル頻発の件でも、それ見たことかという話を聞いた。 そもそもの民 営化が問題だったと言う。 1987(昭和62)年国鉄を、北海道、東日本、東 海、西日本、九州の旅客鉄道会社6社と日本貨物鉄道の計7社に分割・民営化 した。 北海道は、路線が長くて、乗客は少ない、採算が合わないのは初めか ら分かっている。 株式会社だから、株主に配当をしなければならない。 金 がないから、賃金を抑え、要員を削り、投資を先延ばしせざるを得ない。 鉄 道にとって何より大事な安全を確保する金がないのだ。 東京都の財政が豊か なように、国鉄も首都圏(大阪も)の運賃を高く設定していたから、JR東日本 だけが勝ち組になっている。 東京駅がリニューアルされ、丸の内界隈は賑わ っているが、三菱ばかり儲かるので、JR東海はリニアの出発を品川で計画して いる。

 T君は、民営化だけを良しとして、推し進めた政策が本当に良かったのか疑 問だと言う。 公共企業体を特殊法人として残し、全体をうまく運営する方法 はないのか。 昔、資本主義の欠陥を計画経済的要素で補完して、福祉国家を つくるというような経済学を学んだ。 ソ連の崩壊以来、計画経済は力を失っ たけれど。 資本の論理だけでやっていると、どうしても取り残される部分が 出る。 非正規雇用労働者の賃金の問題なども、そうだろう。 冷凍食品に農 薬を入れる人間なども出てくる、と。