福沢漢詩のキーワード2014/11/25 06:34

 福沢漢詩のキーワードは、「自らを笑う」と「戯」である。 自分の人生を笑 う、それは戯れであるという人生観だ。 福沢はよく「戯去戯來自真有」と揮 毫した。 『福翁自伝』は、自分の人生を笑い、徹頭徹尾面白おかしく書く。  そういう風に生きたいと思っていたのだろうが、本当はそうでない時もある。  漢詩から、それを窺い知ることが出来る。 その点で、漢詩は貴重で、福沢と いう人間を知る上で、意外に重要だ。

(98)還暦自嘲(明治28年)

兒戯戯來六十年   児戯戯れ来りて六十年。

一身苦樂附天然   一身の苦楽は天然に附さん。

癡心自笑尚難去   痴心 自ら笑う なお去り難きを、

枉學攝生祈瓦全   あだに摂生を学びて瓦全を祈る。

(金文京さんが『福澤手帖』に書かれたものの中に、この詩を見つけられな かった。 「瓦全」は『広辞苑』を見ると、「何もしないでいたずらに身の安全 を保つこと。」 富田正文先生の『福澤諭吉の漢詩三十五講』(福澤諭吉協会叢 書)に、「甲午元旦試毫」という似た詩の解説があり、「戯去戯来自真有」の意 味は、『福翁百話』の第七話「人間の安心」によく説き尽くされているとある。  大きくまとめると、人生は本来戯れに過ぎないと大観しつつ、その一場の戯れ を戯れとしないで真面目に勤めることだ、と。 私は若い時から、福沢の「戯去戯来」という言葉が好きだった。)

冬のボサノバ<等々力短信 第1065号 2014.11.25.>2014/11/25 06:35

 「イパネマの娘」の45回転EPバージョンで始まり、LPバージョンで終る、 アストラッド・ジルベルトのデビュー40周年記念ベスト『ザ・ガール・フロム・ ボサ・ノヴァ』を聴いている。 2月に『脊梁山脈』を紹介した乙川優三郎さ んの現代もの短編集『トワイライト・シャッフル』(新潮社)の「オ・グランジ・ アモール」を読んだからだ。

 繊細なジャズピアノで鳴らした生島健二は、夏の3か月を房総半島の小さな ホテルで演奏するようになって8年になる。 10年前に大病をしてから仕事が 減り、毎年確実に続いているのは、学生時代の友人宮野が経営するこのホテル での仕事だけになった。 当時、スタン・ゲッツがブラジル音楽を取り込んで、 ボサノバの流行を先導したアルバムの中の「ディサフィナード」を、ゲッツの テナー・サックスを宮野が、アントニオ・カルロス・ジョビンのピアノを生島 が担当して、よく練習したものだった。 宮野は大企業に就職し、生島は伝(つ て)もなくアメリカに渡り、肌で勉強して、ジャズピアニストの道を歩んだ。  最も心の通うラテンを選び、中でもボサノバやサンバと融合したジャズの美し い旋律と浮遊感に惹かれた。 廃れても飽きられても錆びない、甘美で、空想 的で、情熱と哀感に溢れた表現が、悪寒のように胸を震わすときの快感といっ たらなかった。 彼は自分の演奏に酔うところまで一曲一曲を物にした。

 海の見えるバーで、生島がカルーソーを飲んでいると、いつも赤いコンバー ティブルで来る女が、読みもしない文庫本を見つめて、ソルティドッグを嘗め ていた。 40をすこし過ぎているか、生島には若々しく見えて、白いブラウス にロングスカートという単純さが却って女らしい。 「生島健二さんですか」 と、紙切れに書いて寄越したのに、「そうだよ、イパネマの娘さん」と、返した。  意味を訊かれ、「誰も名前を知らない、たぶん自分が美しいことを知らない、た だ通り過ぎてゆくだけ」。 声を出さずに笑って、イパネマのオバサンですねと 言う。 どこか哀感の漂う女に、ボサノバの歌詞を教えた、「人生は学校のよう なもの、苦しまずに生きる術を身につけるための…」。

 この本、10/13篇がカタカナの題だ。 戯れに俳句を。 「オ・グランジ・ アモール」ボサノバのいずくともなく夕焼空、「イン・ザ・ムーンライト」老海 女は小便たれて上がるとや、「サヤンテラス」冗談の巧い漢(オトコ)や夏の潮、 「ウォーカーズ」海へ向け緩き傾斜や芝青む、「フォトグラフ」伯母の乳咥えた 写真走馬燈、「ミラー」鏡見てわが冬ざれに驚愕す、「トワイライト・シャッフ ル」たそがれの別れ話や夏の果、「ムーンライター」底冷えのモデル鳥肌健気な る、「サンダルズ・アンド・ビーズ」ビーサンのサイズ分らぬデザイナー、「ビ ア・ジン・コーク」美しく気高き読書良夜かな。