「志木歩こう会」俳句「早稲田から神楽坂へ」2015/01/01 07:10

明けましておめでとうございます。 吉例となった俳誌『夏潮』一月号の親 潮賞応募作を、初笑いのタネにさらけ出すことにする。 残念ながら今年も末 席、二句紹介組だった。 昨年10月4日の慶應志木高の同窓会「志木会」の 「志木歩こう会」「早稲田から神楽坂へ」の折に詠んだ一連の句である。

秋晴や鉄腕アトムのホーム降り

案外に澄む神田川秋の水

御三卿清水の庭は百日紅

穴まどひ刺激するなと貼紙に

馬肥ゆる馬場の外れの決闘碑

金融通の社は豪奢花すゝき

三田の山に似たる銀杏の早稲田にも

椎の実を拾ひ大隈像見上げ

日吉館八一看板秋思ふ

硝子戸の外は鳥呼ぶ落霜紅(ウメモドキ)

漱石のテラスの端に芭蕉の葉

行儀よく木賊つんつん立ちにけり

えごの実と係の人は教へくれ

金柑の一つだけ生る猫の路地

松花堂弁当に鮭位置を占め

秋澄むや林氏の墓八十一

琴の音に居眠りも出て秋日濃し

城址は念仏の寺菊香る

神楽坂電線のなき秋の空

新路の黒板塀に柘榴映え

 なお、辛うじて『夏潮』に掲載していただいた句は、<穴まどひ刺激するな と貼紙に>と<馬肥ゆる馬場の外れの決闘碑>であった。

小三治「初天神」のマクラ2015/01/02 07:38

 トリの小三治を書くのが、年越しとなったが、「初天神」で、ちょうどよかっ た。 小三治は、うっかりぼんやりしている内に、12月7日に75歳になりま した、と言う。 健康保険証が変って、後期…って言うんだそうです。 カー ドじゃなくて、昔風の大きい形のピンク色のになった。 多分、自分の負担金 が少なくなるのだろうと、三日前、ノドの医者へ行った。 受付に張り紙がし てあって、私の扱いは何も変らない、向うが変ったんでしょう。 字が細かい から、よく見えない、わからない。 2割が1割になるとかなんでしょう、福 祉の国ですから日本は…。 誰が総理だったかわからないけれど、そう言った。  幼稚園と大学も只のはずなんだが、それ以上言ったってしようがない。 結論 は、お前は駄目だ、稼ぎがあるから3割だってんですね。 稼いでいますかね。  銭勘定のことを、とやかく言うと、芸がいやしくなるから、やめますが…。

 免許証が変わる、70歳、75歳で。 言われたのは、もう運転すんの、やめ なさい、75過ぎてからの事故が多い、命を無駄にすることはない、ということ。  やらない方が、いいとは思う。 免許証は、本人だということを示すために、 役に立つ。 何を言いたいのか、まだ、見えて来ませんが…。 75を過ぎて免 許証の欲しい人は、講習をやれってんですよ。 この前、行きました。 大し たことはやらない。 ふだん経験しない、シネマスコープ(古いね)みたいな 画面のある、擬似運転みたいな所で、ハンドブレーキを解いて……。 この話、 止しましょう、きりがない。 そういうことをやらされて、前進ペダルを踏む と、景色が流れて行く。 一人の人は、二人殺したって、言ってました。 飛 び出してきた人なんかに、ぶつかる。 そういう事故が多い。

 町中で、車一台ぐらいのスペースが、自転車とオートバイの駐車場、お金出 して停めるようになっている。 二列、十台置ける。 けっこう、一杯になっ ている。 世の中、私の時代じゃない。 私の時は、オートバイ、歩道に置い ときゃあ、どうってことなかった。

 最近、リタイアしてからオートバイに乗ろうっていう、高々年の人が増えた。  楽しい。 私は、中々年で始めた。 高年になってから始めると、つい事故を 起こす、判断を誤って…。 自動二輪の事故が、七、八割だそう、危ないです ね、あれは。 コツを知っていれば、そんなに危なくない。 あのー、そうで すね、オートバイって、ものは…。 この話、もう止めましょう、これやり出 すと、一時間やっても終わらない。

 私が初めてオートバイに乗ったのは、41歳の時、免許がなかったのに乗った。  資格が湧いて来た。 軽自動車の免許が廃止になって、普通免許に自動二輪の 免許がついてきた。 乗ってみると、これが楽しい。 だけど、お勧めします。  やめておいたほうがいい。

小三治「初天神」の本篇2015/01/03 07:36

 初天神に出かける。 金坊を、いっしょに連れてってよ。 駄目だ、あいつ には辟易する、早く羽織を出せ、あいつが帰らない内に。 帰って来たじゃな いか。 お父っつあん、只今。 もっと、遊んで来たら、どうだ。 友達、み んな家へ帰っちゃったよ。

 初天神、連れてってよ。 駄目だ、お前は、あれ買ってくれ、これ買ってく れって、言うから。 学校の先生が言っていたよ、一日経つと人は変るって、 今日のあたいは違う。 連れてっておくれよ。 連れてってやんなよ。 男と 男の約束だ。 あれ買ってくれ、これ買ってくれって、言わない。 言うこと 聞かないと、川ん中へ叩き込む、怖い思いするぞ。 いいよ、あたい泳げるも ん。 川ん中には河童がいるんだ、頭から齧られる。 河童は架空の動物だよ、 ウチのお父っつあんは、あどけない。

 お店が、いっぱい出ているね。 あたい、あれ買ってくれ、これ買ってくれ って、一度も言わない、いい子だよね。 いい子にしているから、ご褒美に、 何か買っておくれよ。 ご褒美がないと、後の励みにならないよ。

 団子屋だ。 団子一本、買っておくれよ。 (大きな声で)団子、買ってく れえ!!(と、言って、泣く) 言うなら、俺だけに言え、回りのひとが見て いるじゃあないか。 団子一本、くれ。 蜜ですか、アンコですか? アンコ に決まっているじゃねえか。 蜜がいいよーー、蜜がいいよーー。 蜜だ、ガ キが小いせえから、たっぷりおまけしてくれ。 蜜は、もっとドロドロしたも んだ、水っぽいんじゃないか。 駄目だな、こりゃあ、(と、垂れそうなのを、 なめる)、(続けて、ジュルジュル音を立てながら、なめる)。 お父っつあん、 蜜みんな、なめちゃった(と、泣く)。 食い物商売なんだから、店の前をきれ いにしろよ、その壺は、何が入っているんだ。 蜜です。 フタ取れ。 チャ ッポン。 ほら、食え。 (金坊も、蜜をなめて)蜜じゃない、水だもん、お じちゃん、その壺、何が入っているの? いいから、いいから。 食べちゃっ た。

 お父っつあん、凧買ってよ、凧。 凧、買ってくれえーー!! 何で、あた りに、撒き散らすんだ。 一番上の凧がいい。 あれは看板だ、売らないんだ。  売りますよ。 お父っつあんが、凧買ってくれる方法、教えてやろうか、あそ こに水溜りがある、ゆうべの雨で出来たんだ、あそこに横になると…。 買う よ。 糸、付けますか。 いらない、ウチにあるから。 泣くんじゃないよ、 糸くれ。 ずいぶんでかいな、場をみられない奴だな、爆弾三勇士みたいじゃ ないか。 ウナリ、付けますか? 付けて。 いくら? ○○円。 ヘーーェ、 ちょっと待ってくれ(と、袂から出し)、ごついね。 帰りに一杯やろうと思っ ていたのと、お賽銭、みんな取られちゃった。 受け取れ、早く歩け。

 凧、揚げたいよ。 誰も、揚げてないだろう。 揚げてるよ、あの広場の方 で。 オッカアがいけねえんだ、羽織を出せって言ったら、すぐ出せばいいん だ。 付き合うよ、今日は。 金太郎の絵だな、いま糸目を見るから。 こん なに糸たくさん、売りやがって。 金坊、あとじさりして、もっともっと、ど んどん、どーんどん。 そうだよ、もっとこっちへ寄れ、糸が枝にひっかかる から。 お父っつあん、どっち? こっちだよ。 どっち? こっち。

 よーーし、一、二、三。 そうそう、いい風が吹いて来た。 ヨー、ヨー、 ヨー、いい塩梅だな。 お父っつあん、凧揚げ、うまいね。 あたいにも、持 たせておくれよ。 ほーら、ほら、ほら、やっぱり糸沢山買って来て、よかっ た。 あたいにも、持たせてよ、凧は子供のものだろう、お父っつあんなんか、 連れて来なければよかった。

 小三治の「初天神」、笑った、笑った。 前座噺に近いようなネタでは、力量 の差が明らかに出るのだ。

「自虐」と「自尊」2015/01/04 07:17

 元日の朝日新聞社説の見出しに驚いた。 「「自虐」や「自尊」を超えて」、 黒地に白抜きの凸版で「グローバル時代の歴史」をかぶせている。 私がひっ かかったのは、もちろん「自尊」で、すぐ「独立自尊」を思ったからである。  「自尊」は、超えられてしまうのか。

 本文はこう始まる。 「歴史の節目を意識する新年を迎えた。/戦後70年。 植民地支配をした日本と、された韓国があらためて関係を結びなおした基本条 約から50年という節目でもある。/しかし今、そこに青空が広がっているわ けではない。頭上を覆う雲は流れ去るどころか、近年、厚みを増してきた感さ えある。歴史認識という暗雲だ。/それぞれの国で「自虐」と非難されたり「自 尊」の役割を担わされたり。しかし、問題は「虐」や「尊」よりも「自」にあ るのではないか。歴史を前にさげすまれていると感じたり、誇りに思ったりす る「自分」とはだれか。」

 最後の一節、私には意味がわからない。 主語は「歴史認識」なのだろう。 「歴史認識」が、「それぞれの国で「自虐」と非難されたり「自尊」の役割を担 わされたり」する。 「それぞれの国」は、日本と韓国。 日本で一定の「歴 史認識」を「自虐」史観と非難する意見のあることは知っている。 そういう 意見を「自尊」というのだろうか。 韓国に、「自虐」史観があるのかどうかは、 知らない。 私は最初に見出しを見た時、「自尊」は中華思想かと思った。 社 説の短文では、説明がつくされておらず、全体に意味不明である。

 『広辞苑』で「じそん」【自尊】を引いてみた。 「(1)自ら尊大にかまえ ること。うぬぼれること。(2)自重して自ら品位を保つようにすること。「独 立―」/→じそんしゅう【自尊宗】/→じそんしん【自尊心】」  脱線するが、→じそんしゅう【自尊宗】を参照して、こんな項目があること を初めて知った。 「じそんしゅう【自尊宗】福沢諭吉が主唱した独立自尊の 主義。」

 さて、朝日新聞社説だが、グローバル時代になって、歴史は、国ごとの歴史 (ナショナル・ヒストリー)では間に合わないと、展開する。 どんな国にも、 その成り立ちについて暴力的な出来事があるが、それをなるべく忘れ、問題に しないで、国民国家の結束を保ってきた。 グローバル化で、国民という社会 の一体感をなくす中、不安を強める人たちが、正当化しがたい時代について「忘 却」や「誤り」に立ち戻ろうとしているかのようだ、という。 「一種の歴史 修正主義です」「自虐史観批判は日本だけで見られるわけではありません」(パ リ政治学院上級研究員カロリヌ・ポステルヴィネさん) 社説は、「自国の歴史 を相対化し、グローバル・ヒストリーとして過去を振り返る。難しい挑戦だ。 だが、節目の年にどうやって実りをもたらすか、考えていく支えにしたい。」と 終っている。 ますます、わからない。

青木功一著『福澤諭吉のアジア』読書会2015/01/05 06:33

 暮の12月20日に刊行された福澤諭吉協会の『福澤手帖』163号に、「「青 木功一著『福澤諭吉のアジア』」読書会に参加して」を書かせてもらった。 東 京大学名誉教授の平石直昭さんを講師に、7月5日三田キャンパス南校舎445 号室で開かれた『福澤諭吉のアジア』(慶應義塾大学出版会・2011年)の読書 会の記録である。

 私はその終わりに、「私はかねてより、福沢が朝鮮の独立と近代化に尽力し ながら、現在、韓国や北朝鮮で伊藤博文や豊臣秀吉に次いで嫌われていると聞 いて、さぞや福沢は無念だろうと思っていた。そして、アジア諸国の独立と近 代化に少なからぬ影響を与えながら、アジア侵略論の創始者と誤解されている 福沢の名誉回復に努めたい、と。今回の読書会に参加して、その考えを強力に 補強していただいて、大変嬉しく有難かった。」と書いた。

 平石直昭さんは、こんな話をしていた。 最晩年の丸山眞男が、戦後、福沢 諭吉が日本帝国主義のイデオローグといわれるようになったことに、二つ疑問 を出していた。 (1)近代日本の歴史を「脱亜」の歴史として捉える見方の 妥当性は如何か。 近代日本は本当に「脱亜」したか。 実際には国家神道、 国体論など、アジア的なものが強く残った。 だから「脱亜入欧」で近代日本 を捉えるのはおかしい。(2)福沢の「脱亜論」をどう理解するか。 「脱亜 入欧」は福沢の言葉ではない。 また「脱亜論」は甲申事変後の時局的な政策 論にすぎない。 つまり「脱亜」は福沢理解のキーワードにはならない。

 では「福沢=アジア侵略路線の元凶」説の起源はどこにあるか。 丸山眞男 は「明治国家の思想」(公刊は1949年だが、講演は46年10月、東大での歴研 の連続講演、のち岩波『丸山眞男集』第4巻)で、次のようにのべた。 福沢 は民権論と国権論が同時的課題であることを古典的に定式化したが、明治14 年の政変以後、民権論と国権論は離れ始め、日清戦争で完全に分裂した。 そ してこの戦争の勝利で福沢は、長年の対外的独立の危機感から解放されて一時 的錯覚に陥った。 日本の近代化には、その先にますます大きな困難があるは ずなのに…。 この講演を遠山茂樹が聴いていたのはほぼ間違いなく、そこか ら遠山は、福沢には日清戦争論の源流としての「脱亜論」があるではないかと 「日清戦争と福沢諭吉-その歴史的起点について」(1951年『福沢研究』第6 号、のち『遠山茂樹著作集』第5巻)を書いたと、推測される。 服部之総は 「福沢諭吉」(1953年12月『改造』、のち『服部之総著作集』第6巻、理論社、 1955年)で、福沢がナショナリズムの悪しき伝統にとらわれたという遠山を批 判して、逆に福沢こそその伝統をつくったタフな絶対主義者だったとした。 こ の遠山、服部の流れが、安川寿之輔の『日本近代教育の思想構造』1970年10 月、新評論、などの所説につながる。

 丸山は誰が福沢「脱亜論」、近代日本史=脱亜史という見方を流行らせたのか、 別個の研究を要し、戦後の研究史を跡づける必要があると断りつつ、竹内好の 名をあげている(『丸山眞男回顧談』下巻)。

 以上、福沢の「脱亜論」に関連する誤解についての部分だけ、平石直昭さん の話を引いたが、詳細は『福澤手帖』163号をお読みいただきたい。