惜敗残念!! 慶應義塾蹴球部2015/01/09 06:34

 明治32(1899)年発祥のルーツ校、慶應義塾ではラグビー部を蹴球部と言 う。 暮から正月にかけての楽しみは、テレビでボールゲームを見ることだ。  ラグビーでは慶應高校が4年連続県予選の決勝で負けた神奈川の壁、「東の横 綱」桐蔭学園高校を破って、花園に出たし、大学も選手権で4強に残って、昨 シーズンと同じく帝京大と対戦した。

 12月30日に沖縄のコザ高校を43-5で破った慶應高校は8強を目指して、 1月1日奈良の御所(ごせ)実業と花園第一グラウンドで対戦した。 前半は 0-7。 後半同点に追いつき、再度リードを許し7-12の1トライ差となった 後半30分、慶應は途中出場のプロップ竹内翼が同点トライ、CTB古田京のキ ックも決まって逆転に成功した。 14-12、勝ったと思った。 しかし、まだ ロスタイムが残っていて、試合は続行。 御所実業WTB竹山晃暉に逆転のト ライを奪われた。 14-19で、残念ノーサイド。 両校死闘を尽したナイスゲ ームだった。 その時花園には、哀しみを癒すかのように、雪が舞ってきた。

 コザ高戦で、SH安西浩昭(9番)に代わった1年生若林俊介(22番)は、 往年の名ウイングでライン際を走る姿が記憶に残る若林俊康さんの息子だそう だ。 稲葉潤監督が御所実業戦で、SHに(9番)で若林を先発させた作戦は、 どうだったのだろうか。 素人目には、活躍の目立った御所のキャプテンSH 吉川浩貴とのマッチアップ、荷が重かった感じがした。 190センチ近いとい う長身ロック、辻雄康と田中陽太郎は、ラインアウトでよく働いていた。 辻 雄康は、松岡修造さんの甥だそうだ。

 2日は、秩父宮ラグビー場での大学選手権準決勝。 対抗戦で0-45と圧倒 された帝京大に、序盤はスクラムを押し込むなど互角の戦い。 だが、開始早々、 キャプテンのフランカー木原健裕が、接触プレーで相手の膝が頭に当って脳震 盪、交代したのが大きく影響した。 フランカー広川翔也が重ねてのオフサイ ドでシンビン、10分間退場したのも痛かった。 だがペナルティ・ゴールで先 制し、前半31分にはNo.8森川翼(よく)がトライを奪う。 前半を10-26 で折り返し、後半に希望をつなぐ。 帝京大ゴール前での長い攻防から、右隅 に飛び込んでトライ、と思ったが、レフェリーがタッチ・ジャッジに確認して ノートライ。 ビデオで見ると、明らかに押えていた。 これが転機となって、 帝京に流れが行き、圧倒されることになったのは、まことに残念だった。 後 半0-27で、結局10-53。

 この試合でFBに起用された1年生の青井郁也(ふみや)は、昭和61(1986) 年の日本選手権で上田昭夫監督の下、トヨタ自動車を破って日本一になった時 の(上記、若林俊康さんもメンバー)名キッカー青井博也さんの息子だそうだ。  博也さんの父、青井達也さんも慶應蹴球部で活躍、監督も務めた三代のラグビ ー一家である。