「小人閑居日記」を『三田評論』で検証する2015/02/18 06:33

 スピーチや講演を聴いてきて、この日記に書いている。 あとで印刷したも のなどが出ると、それが正確かどうか、結果がはっきりすることになる。 清 家篤塾長がいつも強調される、科学(サイヤンス)・学問の方法、仮説を立てて、 検証するようなものである。 反省をして、問題解決の筋道を考えなければな らない。

 1月10日の第180回福澤先生誕生記念会での、清家篤塾長の年頭挨拶を1 月14日の日記で速報した。 それが『三田評論』2月号に、「平等の慶應社中」 として掲載された。 判定は、どうだろうか。 自分では、けっこういいとこ ろまで行っていると自惚れるのだが、読者の皆様の評価はどうなるか。

 1月14日の日記を書いていて、はっきりしない箇所があった。 「学問は自 由で平等な環境のもとで、発展する。 福沢は時事新報の社説で、学問の進歩 に管理的な手法は有害だと述べた。」というところだ。 『時事新報』の社説を 探したが、見つけられなかったので、くわしく書けなかった。

 『三田評論』では、清家塾長はこう言っていた。 「どんな時代にも学問は 自由な環境で発展します。「学者飼い殺しの説」としてよく知られているように 福澤先生は、明治26(1893)年の時事新報社説において「元来学者の学を好 むは、酒客の酒に於けるが如くにして、傍より之を制す可らざるのみか、自ら 禁ずること能はざる所のものなれば、所謂飼放しは其勉強を促すの方便にして、 俗界に喋々する規則取締等こそ真の学思(がくし)を妨ぐるの害物なりと知る 可し」と、学問の進歩に管理的手法は有害であると喝破されています。」

 私は西校舎ホールで「時事新報社説」とだけメモして、「学者飼い殺しの説」 と「明治26年」を書き落としていた。 『福澤諭吉全集』の「時事新報社説」 の題目を、「学問」「学校」などで探したが、結局見つからなかったのだ。

 だが、『三田評論』でも、明治26(1893)年の何月何日の社説かは、わから ない。 実は、社説の題からでは見つからないのだ。 「学者飼い殺しの説」 からでは、『福澤諭吉事典』でも、私には見つけられなかった。 富田正文先生 の『考証 福澤諭吉』の事項索引に、「学者飼い殺しの説」があった。 社説は、 明治26(1893)年11月14日の「人生の樂事」と判明した。 清家塾長の引 用箇所は、『福澤諭吉全集』第14巻198頁の冒頭にある。