チェックランド夫人と日本人研究者2015/02/26 06:34

 創業者竹鶴政孝の死後10年を経た1989(昭和64/平成元)年、ニッカウヰ スキーはスコットランド最高峰ベン・ネヴィス山の麓にあるベン・ネヴィス蒸 留所を買い取った。 竹鶴が本場のスコッチ・ウイスキー造りを習得するため に単身、スコットランドに辿り着いた日から70年を経て、ニッカはスコット ランドのウイスキー産業の一翼を担うことになった。 竹鶴が存命ならば、大 いに喜んだろう、とオリーヴ・チェックランドが『マッサンとリタ―ジャパニ ーズ・ウイスキーの誕生』の終章に書いている。

 和気洋子さんの「訳者あとがき」に、こうある。 日英交流史の研究で知ら れるオリーヴ・チェックランド夫人と日本人研究者との間には、永年の学術的 パートナーシップを軸に深い人的ネットワークがつくりあげられてきた。 特 に慶應義塾大学の経済史専門スタッフとの共同作業は、『イザベラ・バード 旅 の生涯』(日本経済評論社・1995年)、『明治日本とイギリス』(法政大学出版局・ 1996年)などの著書を始め、数多くの貴重な研究成果を生んでいる。 この本 の原著“Japanese Whisky, Scotch Blend:Masataka Taketsuru,The Japanese Whisky King and Rita,his Scotch Wife”(1998年)も、こうした研究者たち との絆が生んだ果実の一つである、と。

 さらに、この本を含めオリーヴ・チェックランド夫人の多くの研究著作に共 通する基本的視座、あるいはヴィジョンを、「人と人との出会いに歴史の源流が ある」ということだと確信する、と書き、こう続けている。 「日英交流史の 一つの主題は国際的な技術移転を史的研究することだが、どんな時代の、どん な国の、どんな種類の技術であれ、それにかかわった人々の人間的観察を通じ てその移転プロセスを丹念に探ることは、やや回りくどい作業ではあるが極め てたしかな方法なのである。」

 私は、日英交流史のオリーヴ・チェックランド夫人(2004年に亡くなった) と、慶應義塾大学の経済史専門スタッフとの間に、学術的な深い人的ネットワ ークがあることを知らなかった。 明日書こうと思う、福沢諭吉とスコットラ ンド人父子の関係の話を、そのネットワークはご存知だったのだろうか。