韓国三世代の日本への感情2015/03/19 06:30

韓国人の日本に対する態度が三つあり、それは世代別にみられる。 (一)父母の世代、(二)私たちの世代、(三)子供の世代。

(一)父母の世代。 日韓合併経験世代。 国がなくなった、国が飲みこま れた経験。 憤激、憤怒、憤りを、強烈に感じていた。 いろいろなことを見 て、聞いて、経験した。 皮肉なことに、知識層の多くが、日本に留学して学 んでいたが、反日感情は維持するという、複合的なところがあった。 日本に 来てみると、日本は先立って発展していて、学ぶべきことが多く、人と交わる と反感ばかりでない。 政治的には敵対するが、個人的にはそうではない。 父 は反日運動のために、一日中刑事に跡をつけられていたが、その刑事と仲良く なり、一緒に風呂に行ったり、食事をしたりした。 叔母は、夫があるのに、 ほかの男性と恋愛して、行き場がなくなった時、助けてくれたのが日本人だっ た。 公私に落差があって、一概にこれはこうだとは言えない。 東京の下宿 のおじさん、おばさんが、反日学生を匿ってくれた例もある。

(二)私たちの世代。 日本統治下で生まれ、日本の教育を受けた。 韓国 語を話してはいけない、ハングルで出版してはいけない、公的言語は日本語。  家へ帰ると韓国語。 言語は、人間自体の情緒をコントロールする。 日本的 な要素が、血液の中まで侵透してくる。 それを1945(昭和20)年まで、や らされた。 突然、それがプツリと切れちゃった。 突然、韓国語になった。  10月1日に、大学が始まった。 教科書ができるわけがなく、教科書なしで授 業が行われた。 梨花女子大学に入ったばかりだったが、先生も韓国語を公的 に使うのは初めてだった。 使っていた日本語の術語が、韓国語にはなかった ので、授業は混乱した。 3年ぐらい経った後、ようやく、混乱が落ち着いた。 アメリカ軍が進駐してきて、その統治下では、公的書類は全て英語になった。  1948年、アメリカに亡命していた李承晩大統領で共和国となったが、夫人はオ ーストリア人、英語でないとわからない、公的言語は英語だったので、いろん な意味で、混乱した。 韓国語にも問題があった。 それまで使ったことがなかった。 大学生は、 ハングルを知らなかった。 投獄されていた人が、一週間の特別講義をした。

(三)子供の世代。 (一)(二)の経験は、学校で習う。 感情的には、激 烈でない。 日本に旅行してみて、学校で習ったのと違う日本を経験する。 大 衆文化の影響が大きい。 朴正煕の時代まで、日本映画は禁止だったが、若い 人でこっそり見ていた人が多かった。 政治と関係のない次元。 『冬のソナ タ』以降、韓流のながれが日本に起こった。 韓国への文化的関心を持つよう になった。(つづく)