自由が丘と京都のほがらかな出版社2015/03/22 07:02

 内田樹先生に「自分で出版社をつくろうと思う」と最初に相談したら、0.5 秒ぐらいで「それがいいよ」と、言って下さった。 それで、何としてもいい 出版社にする、出版界全体への動きにしていかなければ、と決意した。 あの 瞬間が原点で、日々の原動力になっている。 貯金を叩き、妻にも借りて、ミ シマ社を起ち上げた。

 出版社を経営していて、浮き沈みはある。 継続的に仕事が出来て行くのが、 大事だろう。 一番苦しかったのは、初期のメンバーが辞めた時だった、やむ を得ない事情(家族のこととか)があったのだが…。 楽しかったのは、本好 きの自分が、この仕事をしていること。 今までの、どの一冊がなくとも、今 の自分はない。 本を愛している人が、いっぱいいて、その声をダイレクトに 聞くことができる。 読者の顔が見えることが、エネルギーになっている。 思 いを込めて本をつくると、それが形になって、読者に届き、読んでもらえる、 出合いとなる。 それが企画、発想のエネルギーとして循環する。

 今は京都にもオフィスがある。 京都で学生時代を過ごし、就職して東京に 来た。 東日本大震災後、一極集中でない流れをつくるのに、東京だけでいい のかと考え、自身の拠点は京都に移した(築70~80年の家)。 出版社のほと んどは、東京にある。 それだけが日本ではない。 土地の持っている空気は、 大きい。 京都にあるのは学術系の出版社で、総合出版社はない。

 自由が丘は、場が活気づいており、京都は、のんびりしている。 自由が丘 では、仕事モードのスイッチが入りやすい。 京都では、違うアプローチの仕 事をしている。 それで、短期的でない、見えてくるものがある。 350年な どという古い会社があり、スパンが違う。 寺社がやたらにあり、死者たちが 住まう町、ある作家が「霊的な町」と言ったが、そういうものと共存していく 感覚を持っていないと、しんどい。 「シリーズ22世紀を行く」を、立ち上 げた。 テレビで7年後の東京オリンピックを「未来」と報じていたが、7年 後が「未来」というのは短か過ぎないか。 出版は、せめて来世紀に届く言葉 を扱いたい。 自由が丘と京都、いい感じにブレンドすれば、一冊一冊のクオ リティが上っていくだろう。 似ているところもある。 京都は、本がよく売 れる。(つづく)