落語と俳句、小咄「鍬盗人」 ― 2015/03/26 06:36
桂米朝さんが『友あり駄句あり三十年』に「俳句と私」として書いている中 に、落語と俳句の話がある。 川柳は落語によく引用されるけれど、俳句の方 はわりと縁がうすく、大阪に「鍬盗人(くわぬすっと)」という珍しい小咄があ るくらいだろう、という。 その小咄、今では米朝さん自身以外、誰もやらな いと思うのでと、そこに紹介している。
俳諧師の家に奉公している権助が、主家の鍬(くわ)を盗み、酒に代えて飲 んでしまう。
「これ権助、村の酒屋に行ったら、うちの鍬がある。 聞いてみると、お前が 持ってきて、二升の酒に代えていったと言うではないか。 とんでもない奴、 うちにはもう置いておけん。 とっとと出てゆけ」
「いやァばれたか。 そんなら、わしが歌を詠むで、それで勘弁してくだされ」
「お前らに歌や句が作れるか。 できるもんなら、やってみい」
「こうはどうかな、……俳諧のうちに居りゃこそ句は(鍬)ぬすむ……と」
「なに、俳諧のうちに居りゃこそ句は(鍬)ぬすむ、か、なるほど」
「すき(鋤)があったら又やぬすまん」
……そう盗まれてはたまらない。
桂米朝さんは、ちょっと面白い小咄なのに、現在、誰もやらない理由の一つ に、鍬や鋤を世間の人が知らなくなったことが大きい。 家庭菜園がさかんと 言っても、鍬はまだしも鋤は見たこともない人が多いだろう。 農業もどんど ん機械化されている今日、俳句の季題でも通用しなくなったものが多いことで しょうな、と言っていた。
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