福澤諭吉とブラックをつなぐもの2015/09/19 06:27

 奥武則教授は最後に「福沢諭吉とブラックをつなぐもの」に言及した。 1926 (大正15)年3月大阪毎日新聞社・東京毎日新聞社発行の『十大先覚記者傳』 という本がある。 十大先覚記者は、岸田吟香、柳河春三、福地櫻痴、栗本鋤 雲、成島柳北、藤田茂吉、末廣鐵腸、沼間守一、福澤諭吉、ブラック。 福澤 諭吉とブラックが並んでいるのが、興味深い。

 奥武則教授は続いて、福澤が慶應元年『ジャパン・ヘラルド』を翻訳して、 「横浜出版日本形勢新聞」「横浜開板日本新聞」として、諸藩の江戸留守居役な どに買ってもらい、その収入で中津から連れて来た塾生の学費をまかなってお り、それは「幕末英字新聞譯稿」として『福澤諭吉全集』第7巻に収録されて いる話をした。 私はインターネットで検索して奥武則教授の論文、「『ジャパ ン・ヘラルド』のジョン・レディ・ブラック―「ジャーナリスト」としての原 点―」を読んで、2014年4月28日のブログ「J・R・ブラックと福沢諭吉」に、 福沢の「幕末英字新聞譯稿」の時期は、ブラックが『ジャパン・ヘラルド』の 編集責任者として、腕を振るっていた時期に重なることを、書いていた。

 現存する『ジャパン・ヘラルド』の原紙で、福沢の翻訳と対応するものは、 残念ながら194号、195号、196号、197号、198号のみだそうだ。 奥さん は、福沢が1865(慶應元)年10月、中津藩に提出した建白書「御時務の儀に 付申候書付」の、幕府だけが唯一の正統的な主権者であるとして、幕府擁護を 主張していることに、ブラックの論説の影響は明らかだとする。

 さらに、福沢が1866(慶應2)年11月7日の福沢英之助宛書簡で述べた、 有名な「大君のモナルキ(絶対君主制)」という言葉も、ブラックが『ジャパン・ ヘラルド』で何回か使っている、と指摘した。 福沢英之助宛書簡は「大名同 盟の論は不相替行はれ候………如何様に相考候共、大君のモナルキに無之候て は、唯々大名同士のカジリアイにて、我国の文明開化は進み不申、今日の世に 出て大名同盟の説を唱候者は、一国の文明開化を妨げ候者にて、即ち世界中の 罪人、万国公法の許さゞる所なり」。

 福沢が書き、門下生の藤田茂吉、箕浦勝人の名前で『郵便報知新聞』に、1879 (明治12)年7月27日から8月14日まで連載した「国会論」は、イギリス 型議院内閣制の導入を提唱した。 イギリス型議院内閣制は、かつてブラック が1874(明治7)年の「民選議院論争」で、しきりに主張していたものだった。