「東京の三大ライオン」、震災復興橋梁2015/09/26 06:29

 『東京旧市街地を歩く』、神田駅東側の雑居ビル街にある、丸石ビル(千代 田区鍛冶町1-10-4)は1931(昭和6)年竣工の装飾建築だ。 エントランス部 分のアーチを形作る飾り迫石(せりいし)や付け柱の柱頭部分に、鷲や羊、リ ス、フクロウなどの動物がいるし、玄関の左右にはライオン像が高貴な姿で、 狛犬のように鎮座している。 森岡督行さんは、この丸石ビルのライオンを、 日本橋三越のライオン、東京国立博物館表慶館のライオンと合わせ、「東京の 三大ライオン」と呼んでいいのではないか、と言う。 表慶館前の阿吽のライ オンは、2009年にここで「未来をひらく 福澤諭吉展」が開かれた時、慶應志 木高校にある福澤諭吉座像と同じ作者、大熊氏広、日本におけるブロンズ彫刻 の先駆者の作品だということを、松崎欣一さんに教えていただいた。

 1931(昭和6)年竣工の丸石ビルもそうだが、この写真集には、1923(大正 12)年の関東大震災以後の建造物が多い。 特に、震災復興橋梁というのが目 立つ。 御茶ノ水駅東側に架かる「聖橋」も、その一つ。 湯島聖堂とニコラ イ堂の両聖堂を結ぶからというので、公募で名付けられたそうだ。 設計者は 山田守、アーチ状の装飾を配した外観は分離派建築学会立ち上げメンバーだっ た山田ならではのもの、という。

 隅田川には、6つの震災復興橋梁が架かっている。 なかでも永代橋と清洲 橋は、デザイン面を最も重視し、最先端技術を投入している。 復興を機に新 しい帝都東京を作ろうとした技術者たちの思いが込められている、と森岡さん は言う。 永代橋は1926(大正15)年の完成、架橋当時は隅田川最下流の橋 だったことから「帝都の門」と呼ばれていた。 鋼鉄製のアーチは太く厚く、 縦横斜めに組み合わされた鉄骨が橋を支える、男性的なイメージだ。 清洲橋 は1928(昭和3)年の竣工、橋桁を吊り下げる鉄骨は優美で気品があり、鉄骨 に打ち込まれたリベットからは装飾効果も感じられる。 女性的なイメージか ら「震災復興の華」と呼ばれ、隅田川第一の美橋とも言われる。