電通銀座ビルと交詢社2015/09/27 07:02

 『東京旧市街地を歩く』で、私がとりわけ懐かしさを感じる写真は、電通銀 座ビルと交詢ビルディングだ。 1964(昭和39)年学校を卒業して、銀行に 就職、電通銀座ビル前の支店に配属された。 毎朝、写真にあるモザイク画の エレベーターホールを通り、地下の食堂に集金に行っていた。 しかし、1階 エントランスの上部、左右に弁財天と広目天のレリーフがあるのは、気付かな かった。 弁財天は「財をおさめる」、広目天は「通常ならざる目」を持つ、 いかにも広告会社らしい、と森岡さんは言う。

 私が集金に通う前年に亡くなっていたが、電通には吉田秀雄社長の「鬼の十 則」(1951年)というのがあった。 駆け出しサラリーマンの私は、なるほど と思った。 1. 仕事は自ら創るべきで、与えられるべきではない。 2. 仕 事とは、先手先手と働き掛けていくことで、受け身でやるものではない。 3.  大きな仕事と取り組め、小さな仕事はおのれを小さくする。 4. 難しい仕事 を狙え、そしてこれを成し遂げるところに進歩がある。 5. 取り組んだら放 すな、殺されても放すな、目的完遂までは……。 6. 周囲を引きずり回せ、 引きずるのと引きずられるのとでは、永い間に天地のひらきができる。 7. 計 画を持て、長期の計画を持っていれば、忍耐と工夫と、そして正しい努力と希 望が生まれる。 8. 自信を持て、自信がないから君の仕事には、迫力も粘り も、そして厚みすらがない。 9. 頭は常に全回転、八方に気を配って、一分 の隙もあってはならぬ、サービスとはそのようなものだ。 10. 摩擦を怖れる な、摩擦は進歩の母、積極の肥料だ、でないと君は卑屈未練になる。

 交詢ビルディング。 交詢社は1880(明治13)年日本初の社交クラブとし て福沢諭吉によって創立された。 2004(平成16)年に10階建ての商業ビル として改築されたとき、関東大震災後の1929(昭和4)年に建てられた旧建物 のファザードの一部がメインエントランスとして組み込まれた。 昔から福澤 諭吉協会の土曜セミナーや、連合三田会事務局への用事で通っていた。 フラ ンス映画に出てくるような、危なっかしいエレベーターが懐かしい。 2階に は、かつて日本工房の暗室があり、土門拳が名取洋之助のシゴキに遭い涙を拭 っていたという逸話が残っていると、森岡さんが書いている。

 旧交詢社ビルには、今の交詢社の入り口あたりに大倉画廊があって、父が毎 年秋、日曜画家のお仲間と「ぎやまん会」という油絵の展覧会をやっていた。  森岡さんが「慶應ボーイの溜まり場」だったバーと書いている「ピルゼン」の 隣だ。 バーではなく、ビアホール。 バーは「サンスーシー」、1929(昭和 4)年から西川千代、その娘と志、さらにその娘富美子の三代、2000(平成12) 年まであったようで、中国語かと思ったら、谷崎潤一郎の命名で「憂いなし」 という意味だそうだ。 谷崎は「サン・ボア」というバーの名付け親でもある という。