池田弥三郎さんの育った家、芸能と宗教2015/11/08 07:19

 10月26日、毎年聴きに行く折口信夫・池田弥三郎先生記念講演会があって、 三田キャンパスの東館、例の三田通りに面した階段上の建物の6階に出かけた。  今年は文学部創設125年記念ということで、池田弥三郎先生所蔵の原稿・書簡・ 掛け軸の展示会も併せて行われていた。 ただし、この講演会、今回で終了と なるそうだ。

 講演会は、池田弥三郎先生のご長男池田光さんの「銀座育ち」で始まった。 池田光さんは、池田弥三郎著『暮らしの中の日本語』(創拓社)の「あとがきに かえて」に、こう書いたという。 「こうした著作に表われた様々な世界―― 自分の実家のこと、そこで育まれたことばの問題、育った町、出会った人々な ど――を見渡してみると、私には池田弥三郎の生きてきた道そのものが、ひと つの学の体系をなしているような気がしてならないのである。」 「学の体系」 とし、あえて「学問」とはいわなかった、と講演で述べた。 学問を自分に合 わせて行った、「なりゆきまかせ」に、霊魂信仰、ことば(本が十冊ある)、銀 座(『銀座育ち』『銀座十二章』『町ッ子 土地ッ子 銀座ッ子』『わが町 銀座』『日 本橋私記』)、『三田育ち』は慶應義塾民俗誌。

 そして池田家の系図を示し、芸能的な面と、宗教的な面がある家だというこ とを語った(以下、敬称略)。 「天金」初代関口金太郎は、ばくち打ちだった が一念発起、数寄屋橋からサイコロを捨てて天婦羅屋になった(弥三郎が数寄 屋橋から経済原論を捨てて文学部へ進むのに通じる)。 初代には子がなく、養 子にした池田鉸三郎が二代目、鉸三郎と乃婦(のぶ)の子に、金太郎(三代目)・ 銀次郎(大伍・歌舞伎座付作者)・かね(早死)・勢以(せい)。 金太郎と志満 の子に、初子・(女)・太郎(早死)・延太郎(のぶたろう・四代目)・彌三郎(弥 三郎)。

 芸能的な面。 金太郎の一年忌に三十人が三味線を持ってきた。 勢以は三 味線名人。 銀次郎の池田大伍は、歌舞伎座付作者で、近年も『名月八幡祭』 が上演され(平成22年7月新橋演舞場)、訳した『元曲五種』は平凡社東洋文 庫に収録されている。 弥三郎が泰明小学校時代、学校が休みになったので、 歌舞伎を観に行ったら、校長先生を始め先生たちが来ていた。

 宗教的な面。 鉸三郎と乃婦(のぶ)の代は日蓮宗だったのが、金太郎と志 満の代になって、日蓮宗から神道に変わった。 志満は、安西家の娘で、尾張 町小町といわれる美人、宗派神道(神社神道でなく)にのめり込んだ。

 『池田彌三郎著作集第一巻』の対談(相手は西村亨氏)に、こうある。 怨 霊の問題が好きで、それを書けばぼくの私小説ができあがる。 ぼくのうちは 宗教的な気分が濃厚なうちだからね。 叔父の池田大伍なんかだって非常な 信仰家だったし、母親は大変な、巫女みたいなものだし…。 それで、戦前は 安津(あんづ)素彦さんのお父さんのところについて、天神教会という神道だ けれど、毎日のように通った。 何年ぐらい行ったんだろう。 それは池田の 家の怨念を払わなければいかんということなんだよ。 大学の予科の時分には、 一か月、寒行に行った。 親父だって、野洲の古峰神社に二十何年通ったよ、 お籠りにね。 怨霊の問題というのは、ぼくの血肉の問題なんだよ。

 池田彌三郎作の戯曲『漂へる時』(八部作・未発表)には、池田家の宗教的な 面が描かれている。 茂(弥三郎)と従姉妹ちよ(岡部志希子(しげこ)=初 子の娘)との会話。 秋山(池田)のうちは、代々、夫婦がどっちか缺けるん だ。 夫婦そろって長生きの出来ない家すじなんだ。 養子に来たおじいさん (鉸三郎)は四十二で亡って、おばあさん(乃婦)は三十六で後家になった。  叔父さんも結婚して、十年目に、叔母さんと死別した。 おやぢの妹の、入舟 町の叔母さん(勢以)が、三年目に不縁になった。

 「お前(ちよ)は、もうそろそろ結婚するんだろうが、相手には、健全な健 康な人を選んで、お前のお母さんに伝わってゐる、ごうすと(ゴースト)と縁 を切るんだよ。 さう言ふいゝ人を選び出せる様に、僕はお前に、學問しろと 言ってゐるんだよ。」