岡野弘彦さんの「折口信夫・池田弥三郎」思い出話2015/11/09 06:30

折口信夫・池田弥三郎先生記念講演会、岡野弘彦さんがいらしていて、池田 光さんの話を聞いた感想を述べた。 岡野弘彦さんは1924(大正13)年のお 生まれだから、91歳になられる、歌人、日本芸術院会員、文化功労者、國學院 大學名誉教授。 和歌の進講指南役として、宮中と関りが深い。

話はたいへんに長くなったが、折口信夫の家に同居したこと、折口信夫と國 學院・慶應義塾の関係、池田弥三郎・加藤守男・戸板康二など慶應の人々との 交友など、興味深い内容であった。

折口信夫の講義は、ノートなどなく、七つか八つの項目を手帳に書いてある だけで、話してゆく。 慶應の人たちによって、そのノートが残った(講演会 は、そのあと、『池田彌三郎ノート 折口信夫芸能史講義 戦後篇』(上)の紹介、 スライドショーが予定されていた)。 池田弥三郎さんと加藤守男さんの友情は、 濃やかで素晴らしいものだった。

戦争から帰って、学部の2年で、折口先生と、学問と生活を体験できるなら と、先生の所に行った。 祖父と孫のようなもので、先生も身体の衰えがあり、 先輩方のような特異な子弟関係は、私には及んでこなかった。 先生は不器用 なので、風呂で髭を抜いてあげることはあった。

叱られたのは、一度。 喜びの感情を表わすことについてだった。 私は伊 勢の田舎の神主の家系で、しかつめらしい教育を受けて育ち、神宮皇學館中学 から國學院に進んだ。 お礼を言うような時には、きちんと手をついて言うよ うに父に躾けられていた。 先生の配慮で、講師にしてもらうことになり、先 生がそのことを他の方に話しているのを聞いた。 一緒に國學院を出、恵比寿 から大森へ帰るのだが、先生の機嫌がだんだん悪くなった。 家に帰ると、先 生が憤然として叱る。 君は感動がない、話を聞いていれば、わかったはずだ。  それなのに…、ここまでに、喜びの声を聞き、喜びの表情を見たかった。 そ んなことで、何の文学がわかるものか、と。

折口先生主宰の短歌結社「鳥船(とりふね)社」で、半月に一回、慶應義塾 の人達(池田弥三郎・加藤守男・戸板康二など)と一緒になった。 伊馬春部 さんが司会をして、先生の批評は厳しいけれど、心のこもったものだった。 國 學院と慶應の両方で、贅沢な時間を過ごした。 私は池田弥三郎さんの十年下、 西村亨、清崎敏郎は同じ学年になる。 河童祭や、戯曲を先生の前で披露する 「例の会」というのもあった。 私は酒を飲めないが、先生はビールやジンを 生のまま、池田さん伊馬さんはお酒が好きだった。 同門の兄という感じで、 慶應の先輩たちは気安く、付き合えるのだった。 のびのびと育っていて、世 間のことを考える時、一番親しい相談をかけることが出来た。 自分の人間形 成に、有難いものを頂いたというのが、三田の山への思いである。

池田家が神社神道でなく、安津素彦の宗派神道だという池田光さんの話を聞 いて、池田弥三郎さんがそのことに縛られるのではないかと折口先生が心配し ていたこと、そうした配慮を思い出した。