『解体新書』と『蘭学事始』 ― 2015/11/25 06:31
最近、サントリー胡麻麦茶のCM高橋克実の「血圧高めの人に聞く」に、 杉田玄白が登場している。 このシリーズは今まで、織田信長、上杉謙信、天 璋院篤姫と続いた。 血圧に胡麻麦茶がいいといわれた杉田玄白は「それなら 私も解体新書」と、言う。
杉田玄白、前野良沢、中川淳庵らが、江戸後期の明和 8年3月4日(西暦 1771年4月18日)に千住小塚原で行なわれた「腑分け」を観察した。 この 時、玄白と良沢が偶然別々に持参した洋書『ターヘル・アナトミア』の解剖図 と、眼下に取り出された内臓の所見が少しも違わず、古くから中国や日本の医 書に記載されているものと大きく違っている事実を知り、一同は西洋の解剖書 の正確さに驚嘆、感激して、良沢、玄白、淳庵らはその翌日から、中津藩中屋 敷内の前野良沢宅で『ターヘル・アナトミア』の翻訳にとりかかることになる。 その話は、杉田玄白の『蘭学事始』によって、よく知られている。
私は高校の国語教科書かと思っていたが、中学だろうと、新聞部OBの一人 はいう。 『蘭学事始』のこの部分は、鮮明に記憶している。 「其翌日、良 澤が宅に集り、前日のことを語り合ひ、先づ、彼(かの)「ターフル・アナトミ ア」の書にうち向ひしに、誠に艪舵無き船の大海に乗出せしが如く、茫洋とし て寄べきなく、只あきれにあきれて居たる迄なり。されども、良澤は兼てより 此事を心に掛け、長崎迄もゆき、蘭語並びに章句語脈の間の事も少しは聞覚へ、 聞ならひし人といひ、齢(よわい)も翁(杉田玄白)などよりは十年の長(た け)たりし老輩なれば、これを盟主と定め、先生とも仰ぐ事となしぬ。翁は、 いまだ二十五字さへ習はず、不意に思ひ立ちし事なれば、漸くに文字(もんじ) を覚へ、彼緒言をもならひしことなり。」
「前後一向にわからぬ事ばかりなり。譬へば、眉といふものは目の上に生じ たる毛なりと有るやうなる一句、彷彿(糸方・糸弗、ぼんやり)として、長き 日の春の一日(いちじつ)には明らめられず。日暮る迄考へ詰め、互ににらみ 合て、僅一二寸の文章、一行も解(かい)し得る事ならぬことにて有りしなり、 又或る日、鼻の所にて「フルヘッヘンド」せしものあると至りしに、此語わか らず。是は如何なる事にてあるべきと考合(かんがえあい)しに、いかにもせ んようなし。其頃「ウヲールデンブック」(釋辭書)といふものなし。ようやく 長崎より良澤求め帰りし簡略なる一小冊ありしを見合たるに、「フルヘッヘン ド」の釋註(しゃくちゅう)に、木の枝を断ちたる迹(あと)、其迹「フルヘッ ヘンド」をなし、又庭を掃除すれば其塵土(じんど)聚(あつま)り「フルヘ ッヘンド」すといふ様によみ出せり。」「鼻は面中に在りて堆起せるものなれば、 「フルヘッヘンド」は堆(うずたかし)といふことなるべし。」
そのようにして、「フルヘッヘンド」を「堆(うずたかし)」と訳すことに決 定する。 「其時のうれしさは、何にたとへんかたもなく、連城の玉をも得し 心地せり。此の如き事にて推(おし)て譯語を定めり。其数も次第々々に増し く事になり」とある。
コメント
_ 古山 和枝 ― 2017/10/26 08:48
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「箒で庭を掃きながら、何かを見てあれは臍の事だ」と思いつくのですが、そんな内容ありましたか?