福沢諭吉と『蘭学事始』2015/11/26 06:13

 私の話は、福沢諭吉と『蘭学事始』に進む。  明治23(1890)年4月、 第一回日本医学会総会が開催された時、明治2(1869)年1月に出版された杉 田玄白著『蘭学事始』を再版して会員に配った。 その再版本の序文を福沢諭 吉が書いている。 それによると、『蘭学事始』の原稿はもともと杉田家に一本 蔵せられていたが、安政2(1855)年の江戸の大地震の火災で焼失してしまっ た。 ところが、医友・門下生のなかでも、それを謄写したものはなく、深く 残念に思い、焼失の不幸をなげくだけだった。 しかし旧幕府の末年に、福沢 の友人神田孝平(たかひら)が本郷通の聖堂裏の露店で、偶然その写本を発見 した。 それで、学友同志輩はみな争ってこれを写しとり、にわかに数冊の『蘭 学事始』が出来た。 その気持は、もうこの世にはいないと思った友達が、再 生したようだった。 当時その写本を得た福沢は、親友箕作秋坪と向いあって すわり、何度も繰り返して読み、『ターヘル・アナトミア』に打向い「艫舵なき 船の大海に乗出せしが如く茫洋として寄る可きなく唯あきれにあきれて居たる 迄なり」というところからあとの一段に来ると、ふたりとも感涙にむせび、言 葉も出ないでおわるのが常だった。 明治元年、王政維新で騒然とする中、福 沢は玄白の子孫杉田廉卿(れんけい)氏を訪ね、あなたの家の『蘭学事始』は われわれ学者社会の宝物である、いまこれを失っては、後世、子孫がわが洋学 の歴史を知るすべもなく、また先人の辛苦されて、われわれ後進のためにされ た偉業大恩を空しくすることになる。 このような騒乱の中でも、ひとたび出 版しておけば、保存の方法としてこれより安全なものはない、その費用のごと きは自分が出させてもらうからと勧めて、出版されたのが明治2年1月刊行の 版本『蘭学事始』(天真楼=杉田家、蔵版)上下二巻である、と。

 今日われわれが『蘭学事始』を読んだり、教科書などでその内容を知る機会 がある陰には、福沢の働きがあったのだった。 富田正文著『考証 福沢諭吉』 (岩波書店)によると、当時の福沢は後年のように富裕ではなく、わずかに『西 洋事情』によって少し生活にゆとりを生じた程度の折のことだったという。

『現代文 蘭学事始』(岩波書店)の緒方富雄さんの解説によると、神田孝平 が見つけた写本も、それを写し明治2年に出版されたものの原稿(慶應義塾所 蔵本)も、表題は「和蘭事始」となっていた。 その原稿に、福沢が朱筆で「蘭 学事始」と訂正しているという。 緒方さんは、これを福沢の勇気ある決断、 独断と推定し、適切なものであったといっている。 神田発見以前の古い写本 も「和蘭事始」や「蘭東事始」で、「蘭東事始」が多いというが、やはり「蘭学 事始」の方が意味がわかりやすい。 福沢のこの朱は、俳人が素人俳句をほん の一字か二字添削して生き返らせるのに似て、大ヒットだったのではないだろ うか。