「フルヘッヘンド」と「連城の玉(璧)」2015/11/27 06:39

 余談。 「フルヘッヘンド」を「堆(うずたかし)」と訳すことに決定する。  「其時のうれしさは、何にたとへんかたもなく、連城の玉をも得し心地せり。」 という鼻の部分の翻訳、苦心の物語の価値を、少しも損なうものではないのだ けれど、『現代文 蘭学事始』(岩波書店)の緒方富雄さんの解説にこうある。 「フルヘッヘンド」という語は、『ターヘル・アナトミア』の原書の「鼻」の 部分にはなく、verheven(フルヘーフェン)(持ちあがった)という言葉があ る。 杉田玄白はこれを間違って覚えていたのかもしれない、と。

 もう一つ。 「連城の玉」とは、何か。 『広辞苑』の「れんじょうのたま」 【連城の璧】は、「「べんか」【卞和】参照」とある。 それで「べんか」【卞和】 を見ると、こうだ。 「春秋時代の楚の人。荊山で得た、玉を含んだ石を楚の 厲(厂萬)王(れいおう)に献じたが、玉ではないと左足を断たれた。武王の ときまたこれを献じ、同じく右足を斬られたが、文王のとき、これを磨かせる と果たして玉であったから、名づけて「和氏(かし)」の璧(たま)といった(韓 非子和氏)。のち戦国時代に趙の恵王がこの玉を得、秦の昭王が15の城と交換 しようとしたので、「連城の璧」とよばれた(史記廉頗伝)。」

 「連城の玉」、漢学の素養のあるには常套句だったらしく、杉田玄白からだい ぶ後の福沢諭吉も『福翁自伝』で使っていた。 それがわかったのは、たまた ま富田正文先生校注の『福翁自伝』(慶應義塾大学出版会)にある「人物書名注 解語句索引」を見ていて、「連城の璧」を見つけたからだった。

 「大阪修業」の章、「築城書を盗み写す」の小見出しの部分だ。 奥平壱岐が 長崎で買ってきたオランダの『ペル築城書』を借り出し、昼夜兼行で、根のあ らん限り、200頁余と2枚の図までそっくり写し取ってしまった。 「もう連 城の璧を手に握ったようなもので」とある。 富田正文先生の「連城の璧」の 注、「連城の璧は非常に貴重な宝物の意味。昔、中国の趙の恵王の手に入れた名 玉を、秦の昭王が十五城と交換したいと頼んだ話から出たことば。」