築地の木造建築群が「危機遺産」に ― 2015/11/28 06:28
築地で思い出した。 10月17日の慶應志木会・歩こう会で、築地本願寺を 右手奥の門から出て、一本裏の道に回り込み、慶應義塾発祥の地のある聖路加 病院方面へ向かう途中の街並みに、たいへんレトロな造りのお店や民家が目立 った。 木造で銅板張りや格子やガラス戸に、戦前、昭和初期を感じさせるも のがある。 太平洋戦争末期の東京大空襲で、アメリカ軍が聖路加病院を残し たのだと聞いたことがあった。 戦後、聖路加病院は接収され、米軍極東中央 病院として使われた。 それで周辺の築地の町も、空襲を免れたようだ。
歩こう会直後の20日、テレビ朝日の「羽鳥慎一モーニングショー」で、築 地の近代木造建築群が米国のワールド・モニュメント財団の危機遺産(文化遺 産ウォッチ)に選ばれたことをやっていた。 調べると、16日には日本経済新 聞でも報じられていた。 築100年のものもある主に昭和初期に建てられた木 造の約30件、築地場外市場にある円正寺や、瓦屋根の「町家型」、銅板張りの 看板のような装飾を取り付けた「看板建築」の建物などが含まれる。 「看板 建築」は店舗と住宅が併設され、表が洋風、裏が和風になっていたりする。 工 学院大学の後藤治教授が申請した。 財団は、東京大空襲による被災を免れ、 高度成長期の開発「危機」をも乗り越えて、都市の魅力の一端を担っていると 評価し、一等地のため(築地市場の移転もあるのだろう)開発圧力を受けてお り、歴史的町並みの喪失が危ぶまれていると認定した。
ワールド・モニュメント財団(WMF、本部ニユーヨーク)は1965年に設立 され、歴史的建築物などの保存に取り組む非営利団体で、1996年からは2年に 1度、危機遺産リストを発表している。 過去には、京都の町家や広島県福山 市鞆の浦の街並み、東日本大震災で被災した宮城県気仙沼市の文化財、海外で は、4月に大地震のあったネパールの文化遺産全般や、アフガニスタンのバー ミヤンの遺跡、シリアのアレッポの歴史的構造物群なども認定している。
築地にいらっしゃったら、この木造建築群と、「日本近代文化事始の地」記念 碑二つ(「慶應義塾発祥の地」記念碑・蘭学の泉はここに」記念碑)を、ぜひご 覧になって来て下さい。
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