扇辰「三井の大黒」後半2015/12/07 06:23

 猫の手も借りたい、今日から仕事に行ってくれるか。 おもちゃ箱…、道具 箱は俺のが一組ある。 拝見してもいいか。 これは、なかなかいいお道具だ、 わしの使いよいように直してもいいか。 藍染町の帳場だ。 おいこら丁稚、 権次てのか、この道具箱を担げ。

 何をやろう。 板削れって、いうのか、おいこら丁稚、そこにある砥石を取 れ。 それから、いつまでも、鉋(かんな)を研いでいる。 曇り(休憩)だ。  曇りって何だ、煙草を喫むのか、煙草は嫌いだ。 ポンシュウ、飯だ、おかず は鮭だ。 鰤(ぶり)はないか。 午後の三時まで、鉋を研いだ。 鉋を取り、 板を削る。 鉋屑が、蝶が舞うようだ。 二枚の板を合わせると、丁稚、剥が れるかどうか、やってみろ。 子供だと思って馬鹿にして。 ンンン、ハガレネ エ。 俺にまかせろ、仕事はうまかねえが、力は強い、力競べで負けたことが ねえ。 ヨッ! 気合もろともだ。 痛え、腕挫いちまうぞ、よし拝むように して、駄目だ。 わしゃ、帰るぞ。

 ポンシュウは? 二階で寝てる。 あいつは手妻遣いだ、権次がやって、あ っしがやって、剥がれねえ。 水に浸けたろう。 浸けねえ。 そんな腕の立 つ奴は、日本に一人か二人しかいない。 誰がポンシュウに板削れって言いつ けたんだ。 手前えが板削るか、生意気な真似すんな。 梅の野郎で、竹の野 郎、秀…、あ、誰もいねえ。

 ポンシュウは、来る日も来る日も、二階で寝たり起きたり。 おかみさんの 頭に、角が生える。 ワー、またシャケか、鰤はないか、富山の鰤は旨いって、 言うんだよ。 あんなもん、ウチに置くんなら、離縁しておくれ。 実は初め に、それで釘を刺された。 さすがは関東の棟梁だ、その気前、褒め置くって な、ただ者じゃないとにらんでいるんだが…。

 おーーい、ポンシュウ、降りて来い、茶が入った。 退屈だろう、いい仕事 をしなさるそうじゃないか。 江戸は火事早い、百人の仕事に七十人の手もか かっていない。 腕が上がる所じゃない、国に帰った方がいいんじゃないか。  今、懐がよくない。 ウチで手間賃仕事をしてみたらどうだ。 手始めに、 ごみ取りなんか。 難しいな。 そうだ、上方では彫り物をするんだろう、恵 比寿大黒なんてのはどうだ。 二階を仕事場に借りてもいいか。

 十日、籠り切りでやっていた。 生きていたか。 丁稚、駿河町の越後屋ま で、手紙を書いたから、届けてくれ。 権次、使いだ。 それから儂(わし)、 風呂へ行こうかな。 すぐ行けーーッ、今すぐ。 シャボン、手拭、湯札だ、 ゆっくり暖ったまって来い。 

 ポンシュウ、あっしと繁が踏み台を作っている横で、やってました。 この 踏み台は、百年持たない。 彫り物、俺が見てみよう。 きれいに片付いてや がら。 いい鑿(ノミ)だ。 床の間に、大黒様一体。 陰から陽へ、パチッ と目を開いて、笑ったというんですが…。 一目見ればわかる、棟梁なら。 す げえ物こしらえやがった、何だか涙が出て来た。

 越後屋さんから、お人が…。 手代の久兵衛と申します、こちらに飛騨の甚 五郎先生がご逗留と伺いまして。 はい、下にも置かないで……、今、湯に行 ってお出でで。 阿波の運慶先生の恵比寿様と、引けを取らない大黒様をお願 いしておりまして。

 でけえ座布団を、上座だ、上座。 ちょいと、お待ちになって下さい。 (湯 から帰ったポンシュウに)あなた、上座に座って。 いいから座れ、ポンシュ ウ! これがいいよ。 あんたも、ひどい人だねえ。 そう、わし甚五郎、よ かった、やっと名前を思い出した。 あの誰か、丁稚。 はい、今日から権次 ではありません。 二階から大黒を持って来て。

 これです、いかがです。 先生、有難うございます、主人も喜びます。 先 年、前金三十両お渡しして、ここに七十両お持ちしました。 別に一樽持参し ました、それと外(と)つ国今年のボジョレーヌーボーも。 棟梁、ここに五 十両、そっちに取ってもらって、儂(わし)はいいよ、二十両あれば十分だ。  遠慮しないで、取っておいてくれ、おかみさんには悪い事をした。

 恵比寿には阿波の運慶が「商いは濡れ手であわのひとつかみ」と書いていた。  紙と筆を…、甚五郎が下の句をつけた、「守らせたまえ二つ神たち」。