福沢諭吉と小泉信三2015/12/13 06:35

 福沢諭吉と小泉信三の年の差は、53歳だ。 父信吉が45歳で亡くなる時、 福沢は横浜桜木町の小泉宅を見舞う。 6歳の信三は、ひどく泣き、多くの客 にはしゃいだという。 福沢は700字に及ぶ弔文を絹地にしたため、遺族に届 けた。 「其学問を近時の洋学者にして其心を元禄武士にする者は唯君に於て 見る可きのみ」「福澤諭吉涙を払(はらい)て誌(しる)す」と信吉の人物を絶 賛した書幅を、小泉家では毎年12月8日の命日に床の間に掲げ、信吉を偲び 福沢の恩に感謝したという。

 翌年から小泉家は三田に移り、福沢邸内に住んだ。 福沢は60歳、7歳の信 三は、福沢の散歩、米搗き、居合を見ている、運動するおじいさんという印象 だったろう。 福沢の長女中村里の次男壮吉と一緒に馬車で、上野動物園にカ ンガルーを見に連れていってもらい、「おじいさん」と呼び、福沢が壮吉を甘や かすのを批判的に眺めている。 福沢が亡くなった時は13歳、三田の丘の下 の堀越整骨院の所に住んでいて、母と姉が大変だと葬式に出かけたのを、不機 嫌な気分で留守番していた。

 福沢諭吉と小泉信三の類似点。

(1)早く父を亡くす。 父を理想化して慕う。 子供を大事にし、我が子に 愛情を注ぐ。 父を辱めないようにという道徳的柱。

(2)運動が大好き。 大きく、たくましい身体。 福沢173~4センチ、小泉 175センチ。 小泉は怪我の後、スポーツの応援家となった。

(3)学問への志が強かった。 熱心で、けしてへこたれない。 独立心を持 つための学問、日本国民への精神を伝える。

(4)強い人柄。 知勇兼備の日本の精神的支柱。 愛の人。 ブレない軸、 正しいことは正しい。 強い裏付けを持つ。

(5)筆まめ。 高い文章能力。 福沢は生涯に何千通もの手紙を書いた。 小 泉は、福沢を意識したか、張り合ったか、趣味であるかのように手紙を書いた。  和木清三郎は、小泉先生の文章は明快明晰、表現は簡素、冗長ではない、と。

(6)皇室に対する考え方。 福沢は『帝室論』で、「帝室は政治社外のものな り」「帝室は独り万年の春にして、人民これを仰げば、悠然として和気を催ふす 可し」と言った。 小泉も、皇室は思い浮かべるだけで、なごやかになる、春 のようなもの、と。

(7)すべての栄典、栄誉を断わる。 自由に意見を言う。 小泉も深く、福 沢を意識していた。