桑原三郎先生と「福沢諭吉ここにあり」2016/01/18 06:27

 山内慶太さんから、すぐお返事があり、桑原三郎先生の『随筆集 下湧別村』 (1999年・慶應義塾大学出版会)所収の「福澤先生ここに在り」に、経緯が書 かれていると、教えて頂いた。 実はこの本、私も桑原先生から頂戴して、当 時、読んではいたのだが、すっかり忘れていたのだ。 この歌は、幼稚舎創立 90周年記念としてつくられたもので、桑原三郎先生が佐藤春夫との交渉役だっ た。 出来上がった草稿は「福澤先生ここに在り」となっていたが、桑原先生 が内田英二舎長とも相談し、幼稚舎生が福沢先生になりきって歌えるよう「福 澤諭吉ここにあり」にして欲しいとお願いし、直してもらったのだそうだ。 佐 藤春夫が清書して渡してくれたのは五行六節の「福澤諭吉ここにあり」だった が、もとは四行四十節の歌稿だったと聞いて、桑原先生が「欲を出して四十節 の初稿も頂けませんか」とお願いしたが、「それはもう捨てました」と相手にさ れなかったとある。 これが、草稿が60番まであるという話の出所だった。

 都倉武之さんは、直接神吉創二さんに訊いて下さり、おおよそ次のような神 吉さんのお返事を転送してくれた。 幼稚舎では、佐藤春夫とのやりとりした 桑原先生が「60番あった」と話したのが、伝わっている。 佐藤春夫は『仔馬』 第16巻第1号(幼稚舎創立90周年記念)(昭和39年5月)に、「先生の一生 を4行40節ばかりに歌った初稿から小泉先生の示教による部分だけを残し、 推敲してやっと〆切の前日あたりにその任を果し得た。」と書いている。 桑原 先生は、幻の歌詞は全て燃したとご本人が確かに言っていたと、話していた。  曲名は「福沢諭吉ここにあり」だと認識している、創立90年の記録も歌詞カ ードも楽譜もそうで、幼稚舎では、現在もひらがなでやっている。

 お二人のお返事は、現行の6番までの原稿が慶應義塾にあるのかどうかにつ いて、触れていなかった。 長い草稿が残っている可能性は、ほとんどないよ うである。 福澤先生誕生記念会式次第が「福澤諭吉ここに在り」と「在り」 にしている経緯も不明だ。 ただ『慶應義塾史事典』の凡例、五「表記につい て」4に「漢字は、固有名詞・人名を含めて、原則として常用漢字・新字体を 採用した。」(例)福澤諭吉→福沢諭吉 慶應義塾→慶応義塾 とあり、同事典 の歌詞は「福沢諭吉ここにあり」になっているようだ。

コメント

_ 轟亭(「小泉信三さんの「佐藤春夫」」) ― 2016/01/22 06:54

1月22日に「小泉信三さんの「佐藤春夫」」を書きました。

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