『現代語訳 福澤諭吉 幕末・維新論集』 ― 2016/03/01 06:21
幕末・維新論集』に山本博文さんの現代語訳と解説があるのを、紹介しておき
たい。 もう福沢の原文は読みにくいという人も多いようである。 この新書
には、『旧藩情』『痩我慢の説』『士人処世論』が収録されている。 表紙カバー
のリード文には「旧幕臣の勝海舟・榎本武揚を筆で斬り、賊軍の首魁として散
った西郷隆盛を弁護する。過去の封建社会・身分制の実情を浮き彫りにし、官
尊民卑の風潮に痛烈な批判を浴びせ、民に用意された無限の可能性を力説する
――新しい時代にふさわしい鮮やかな筆致で、「この国のかたち」を大きく描き
直す過程において何が必要か、我々に大きな示唆を与えてくれる。」とある。
富田先生が、先に「大意を和らげて写した」『明治十年 丁丑公論』緒言の訳
は、こうなっている。
「丁丑公論 まえがき」
「およそ人は、自分の思い通りに物事を行いたいと欲するものだ。それが専制
の精神である。
専制は今の人類の本能と言ってもよい。個々人であってもそうなのだから、
人が集まって作った政府は専制にならざるを得ない。政府の専制は咎(とが)
めることができない。
政府の専制は咎めることができないとはいえ、放っておくと際限(きり)が
ないから防がざるを得ない。今、これを防ぐ方策は抵抗することだけだ。
世界に専制が行われている間は、抵抗の精神が必要である。それは、天地の
間に火がある限りは、水が必要であるようなものである。
最近の日本の状況を見ると、文明という言葉にだまされて、抵抗の精神は次
第に衰退しているようである。国を憂える者は、これを救う手立てを求めざる
をえない。
抵抗の方法はさまざまにあるものだ。文筆で、あるいは武力で、またあるい
は金銭をもって行う者があるだろう。
今、西郷隆盛氏は、政府に抵抗するため武力を用いた。私の考えとは少し趣
を異にするところがあるがその精神に至ってはそれほど差がない。
このように無気力な世の中においては、士族も平民も政府の勢力に息を殺し
て真実を言わず、世間に流布するものはすべてお上のご機嫌取りや嘘ばかりで、
これを咎める者もない。このような虚説を現代に伝え、さらに後の世代にも伝
え、百年の後にはついに事の真相は消えてしまい、それを知ることが出来なく
なることは確実である。
私は、西郷氏と面識はないし、彼を擁護しようとも思わない。特に数日をか
けて彼の行動について一冊子を書き、これを公論と名付けたのは、西郷氏のた
めに「公」を私物化しようとしたのではなく、一国の公平を擁護するためであ
る。
現在は出版の条例があって、自由な言論を妨げている。そのためその書は深
く家蔵し、公表を控える。
私のささやかな意図は、時節が来れば今日の実情を後世の子孫に知らせ、日
本国民の抵抗の精神を保存して、その気脈を絶つことのないようにというもの
である。
西郷氏が挙兵した事情や、その前後の経過および戦争の記録などは、世人が
既に出版している書物もあり、また今後出版されることも多いだろうから省略
する。
明治十年十月二十四日 福澤諭吉記」
たまたま、ジャーナリストではなく“ニュースの職人”を名乗る鳥越俊太郎
さん(75)が「人生の贈り物 わたしの半生」(朝日新聞夕刊連載)の最後(2
月26日)で、いまのテレビについて、こう語っていたので、引いておく。
「この春、ものを言ってきた報道番組の顔が次々消えるようですね。総務大
臣は国会で、放送内容で電波停止を命じる可能性に言及したとか。でも僕は、
テレビ報道に関わる人たちに言いたい。たとえ放送免許を政府に握られ、収入
を広告企業に握られていようとも、ものを言わなくなったら、ジャーナリスト
を名乗れるのですか、と。」
『福澤諭吉事典』の『丁丑公論』 ― 2016/03/02 06:32
『福澤諭吉事典』では、小川原正道さんが〈生涯〉「西南戦争」、〈人びと〉「西 郷隆盛」、そして〈著作〉『明治十年丁丑公論・瘠我慢の説』の項目を解説して いる。 〈著作〉の『丁丑公論』についての部分で、大事だと思われるところ を引いておく。
「「丁丑公論」は、明治10(1877)年の西南戦争終結後すぐに執筆されたも ので、かつて維新の元勲として賞賛していた西郷を賊として扱う新聞雑誌を不 満とし、西郷が示した「抵抗の精神」を専制政治に抵抗する精神として、また 西郷の人格を士族の気風や「文明の精神」を宿したものとして、高く評価した。」
「福沢諭吉は、鹿児島士族の割拠を許して貧窮に追い込み、みずからは奢侈 を極めてきた明治政府にこそ反乱勃発の責任があると指弾する。一方、西郷も 地方自治に力を入れて言論や学問、産業によって抵抗すべきであったと指摘し た。ここでいう抵抗とは権力の偏重に修正をうながすものであり、福沢が好ん で使った「独立」「私立」と同義であったといえる。」
「「丁丑公論」は執筆後長く公にされなかったが、西南戦争から20年余りを 経て時事新報記者の石河幹明が福沢の自宅で稿本を発見し、福沢の許可を得て 明治34年2月1日から10日まで8回にわたって『時事新報』に掲載した。」 連載中の2月3日に、福沢が亡くなった。 「丁丑公論」は「瘠我慢の説」と 合本して、34年5月に刊行された。
柳家さん若の「鈴ヶ森」 ― 2016/03/03 06:29
2月26日は第572回の落語研究会、寒い日でいつもの天婦羅屋に鍋を頼ん でおいたのは正解だったが、予定人数が集まらず、満腹で劇場に入る。
「鈴ヶ森」 柳家 さん若
「三方一両損」 馬吉改メ 金原亭 馬玉
「明烏」 柳家 喜多八
仲入
「位牌屋」 桂 文治
「二番煎じ」 柳家 権太楼
初めてみた柳家さん若(じゃく)、2003年さん喬に入門した二ツ目、46歳。 3月4日から12日まで落語教育委員会の東北巡業で、横手、秋田、郡山、いわ き、宇都宮と回るのだけれど、郡山からはレンタカーで、さん若運転しろと言 われている。 でも、25年以上運転していない。 今頃、楽屋で聞いて、喜多 八師匠がひっくり返っているだろう。 2か月、車持ったことはある。 信号 を左折したら、ガリガリといった。 太ももの高さに何かあったらしい。 ア クセルを踏んだら、ドアが二枚ペコペコにへこんで、廃車にした。 師匠は…、 マツコデラックスみたいな人、大丈夫だよ、と言う。 稽古しようかと思うけ ど、まだ、していない。 一行の無事を祈って頂きたい。
辞めて、堅気になるか、と親分。 真心に立ち返って、悪党に励みます、と 間抜けな子分。 先だっても、品川で入ったら、家族がおつけで朝飯を食って いた。 何でもっと早く入らない。 親分に抜き足差し足って教わったから、 抜き足差し足で行ったら、朝になっちゃった。 どこから? ここから品川ま で。
百聞は一見に如かずだ、一緒に行って教えてやるから、仕度しろ、顔をこし らえろ。 顔なら前から出来てる。 ヒゲ描け。 (八の字ヒゲを描く) な めてんのか、謎の中国人じゃないぞ、ツラを真っ黒にするんだ。 そのフルシ キ包みを持ってけ。 お土産ですね? 私もまんざら馬鹿じゃない。 馬鹿だよ、 お前は、どこにお土産持って盗みに入る奴がいる。 結びが入っているんだ、 舅(しゅうと)にやる。 親分のお舅さんですか? 犬にやるんだ、犬のこと を俺達の符丁で舅って言うんだ。 何で? うるせえからだ。 ドス持ってき な。 短刀を、何でドスって言うんですか? ドッと刺して、スッと抜く。 呑 んどけ。 呑んだら、血だらけになる、私もまんざら馬鹿じゃない。 馬鹿だ よ、お前は。 提灯持って、どうするんだ。 道が暗い。 置いて来い、後ろ をちゃんと締めろ。 どうして? 不用心だろう。 盗ッ人の家にも、盗ッ人 が入りますかね、たちがよくない。
鈴ヶ森の竹藪で、旅人に声をかける追剥の文句を教わる。 そんな長いのは 憶えられない。 口移しで教える。 (キスするように、口を突き出す) そ うじゃない、口真似するんだ。 「おい旅人、ここをどこか知って通ったか、 知らずに通ったか、明けの元朝から暮の晦日まで、ここは俺のカシラの縄張り だ、知って通ったら命はねえ、知らずに通ったというのなら、命だけは助けて やる、その代わり身ぐるみ脱いで置いていけ」 ミグミグミグ…。 「いやと ぬかせば最後の助、伊達には差さねえ二尺八寸段平物、おみめえ申すぞ」
ずいぶん寂しくなっちゃった。 草木も眠る丑三つ時。 鈴ヶ森だ。 ハッ ク、ハック、ハック…、ハックション。 アワ、アワ、アワ、蜘蛛の巣だ。 ケ ツをまくってしゃがめ。 フンドシしてない。 いいから、しゃがめ! やり ますよー、アッ、ア゛ーア。 竹の子が尻の穴にささって抜けなくなった。 手 ぇ貸して! ポン。 抜けました。 薬ありませんか。 あるか。 ケツの穴 見て下さい。 いやだ。 せめてつばでも塗って!
来たぞ、やるんだ。 アッ、アッ、アッ、こんちは。 ミ、ミ、ミン、ミン、 身ぐるみ…。 何だ、手前は、首っ玉引っこ抜くぞ! 身ぐるみ脱ぐから、勘 弁して下さい。
馬玉の「三方一両損」 ― 2016/03/04 06:41
金原亭馬玉、落語研究会は襲名以来の登場か「馬吉改メ」とプログラムにあ る。 実は馬玉、大学の同期生の娘婿で、昨年仲間内の新年会でしゃべっても らった縁で、3月に上野精養軒であった真打昇進襲名披露パーティーにも出て、 鈴本演芸場の披露興行も観ていた。 その鈴本の様子は、3月30日から4月3 日の当日記に書いてある。
少し硬い感じで出てきた馬玉、高い声の早口で入ったが、その調子が師匠の 馬生によく似ている。 江戸っ子というのは、いいご気性で。 女房に、辰ん べのところに寄ったら、芋食ってた、おまんま持って行ってやれ、おかずは? 鮭の焼きざましがある。 行って来た、辰さん喜んでたよ、涙ぱらぱらこぼし て。 飯にしてくれ。 ないよ、持ってっちゃったから。 じゃあ、芋でも食 おうか。
耳に蜂蜜がついていて、蟻んこが行列している夢を見た左官の金太郎、柳原 で財布を拾った。 三両の金と印形と書付が入っていて、書付に小柳町大工吉 五郎とあったので、届けに行く。 煙草屋で、買うんじゃない、ものを訊くん だ。 吉っつあんなら、欅の下の長屋の木戸を入って左の三軒目、腰ッ障子に ○に吉とある。 中にいるな、障子に穴を開けて覗くと、イワシの塩焼で一杯 やっている。 もっとさっぱりしたもので一杯やれよ。 張り替えたばかりの 障子に穴を開けやがって、何か言ってねえで、開けて入れ。 言われなくても 開けて入るよ、開けねえで入るのは、風か幽霊だ。 俺は左官の金太郎、柳原 で財布を拾った、金三両と印形と書付が入っていたんで、届けに来た。 なん だ、財布落っことして、さっぱりと、いい気持で一杯やっていたのに…、印形 と書付はもらっとくが、金は持ってけ。 そんな不義理な御足はいらない。 駄 賃だ、持ってけ、マゴマゴしているとためにならねえぞ。 面白れえ奴だ、や れるもんなら、やってみろ。 ボカボカ。 本当に、やりやがったな。 この 野郎、ボカボカ。
大家さん、隣で大喧嘩が始まった、長屋の壁が薄くてよ。 やってる、やっ てる、マゲのむしりっこだ。 どうかして下さい、喧嘩を止めるとか、長屋の 壁を厚くするとか。 吉五郎、三両の金、いっぺん受け取って、後で菓子折で も持って行くってのが、筋だろう。 何を、くそったれ大家。 お前が悪いん だから、謝るんだ。 お白洲にでも出るから、お前さんも、今日のところは帰 っておくれ。
ウーーッ、いきなりボカボカやってきた。 唸って歩いてるのは金太郎だな。 ああ、大家さん。 お前、頭の上だけ江戸っ子じゃないな。 喧嘩したんだ。 どこの野郎と。 財布拾ったんだ。 馬鹿野郎、みっともねえ真似すんな。 届 けに行ったら、ボカッと来た。 それ、受けたのか? 受けた、オデコで。 そ れでイワシを三匹、踏みつぶした。 向うの大家にそう言われて、帰えってき たのか、馬鹿野郎。 俺の顔はどう立てる。 とんがってるから立てづらい。 こっちからも、訴えてやろう。
南の町奉行、大岡越前守が、お白洲に入って行く。 樫の六尺棒を持った番 人、警蹕(けいひつ)の声。 一同、揃い居るか。 吉五郎、面を上げろ。 金 太郎が拾って届けてきた三両を受け取らなかったというが、それに相違ないか。 そんなもん受け取れば、先祖の幡隨院長兵衛に、申し訳ねえ。 やれるもんな ら、やってみろっていう、やらないと角が立つから、コツンとやった。 親方、 大将、越っちゃん、冗談じゃないよ。 泣いておるな。
三両は、越前の手元に置いておくが、よろしいか。 しからば、両名へ二両 ずつ下げ渡すが、どうだ。 町役人、受け取りくれたか。 奉行が一両出した ので、三方一両損となる。
空腹になったであろう、膳部をつかわせる。 おまんま、ご馳走して下さる んで…、越っちゃん、苦労人だな。 待たされたから、腹へっちゃって。 テ エだ、テエが出てきたよ。 両人、いかに空腹でも、あんまり沢山、食すなよ。 なあに、たんとは食わねえ、たった、えちぜん。
喜多八の「明烏」前半 ― 2016/03/05 06:31
喜多八の出の前に、萌黄・柿・黒の、歌舞伎の定式幕が引かれた。 幕が開 くと、喜多八は板付、つまりもう座っていて、規則正しい不摂生が祟って、ち ょいと休んでおりまして、と始めた。 寄席も休んだが、ボォーッとしている のもいいもんで。 (ひどく痩せて、顔色も悪いのが、心配だ。) 寄席はご婦 人が増えた。 ご婦人に嫌われないように、よく掃除をして、はばかりなんか もきれいにして、洋式にしなきゃあいけない。 洋式、初めは抵抗があったけ れど、今は楽、和式だと膝がミリッという。 仮に吉原の花魁なんかも言う、 和式はいやでありんす。 なくなって五十年、半世紀が過ぎた。 なくなって よかった。 今のご時世に残っていても……、スッと消えてよかった。 廓は、 人情の習練をする、男を磨く所というんで、野郎は嫌々行っていた。 学校じ ゃ教えてくれない所。(羽織を脱ぐ)
もう、行くよ。 来るったら、来るよ。 堅気の家だぞ。 髪結床で、お父 っつあんに頼まれたんだ、倅が堅過ぎる、あれでは商いの切っ先が鈍りますっ てな。 親なんて、なるもんじゃないね、子供が出来たら、お父っつあんとで も呼ぼう。
信心のことだ、源兵衛さんと太助さんに頼んであるが、途中で中継ぎといっ て、こんなことをする、お勘定はお前がはばかりに行くついでに一手に払うん だ。 割り前ということに。 そんなことをしたら、二人は町内の札付きだ、 何を言われるかわからない。 着替えをして来なさい、結城なんかがいいだろ う。 お賽銭を沢山持っていきな、明日は早く帰って来て、裏から入って来る んだ、表は店の者がいるから。 泊まってくるんだぞ、お籠りだ、お二方ほど 信心深い方はいない。
来たよ、坊ちゃん。 途中で中継ぎということをするんだそうですが、私は 飲めませんので、無理強いをしないで下さい。 無理強いなんてしませんよ。 お勘定は私が一手にお払いします。 そんな心配はいらない。 いえ、そんな ことをしたら、お二人は町内の札付きだから、何を言われるかわからない。 ひ でえな。
たいへんな雑踏、大層なお人で。 見返り柳を、ご神木と教える。 若旦那、 手を合わせる。 いいね、この初心(うぶ)さ加減、心が洗われるようで。
おい、女将いるかい。 話しておいた田所町の堅物、引っ張り出してきた。 あら、あら。 年が十九、お稲荷さんのお籠りということにして、ここはお巫 女の家、女将さんはお巫女頭。 嫌ですよ。
田所町三丁目日向屋の倅、時次郎と申します、今晩は三名でお籠りに上がり ました。 いいご器量で。 お前たち、なに笑ってんの。 角海老、大籬(ま がき)だ。 文金、赤熊(しゃぐま)、立兵庫なんてえ結髪(あたま)をして、 櫛笄を挿し、仕懸けを着て、左で張肘をして、右で褄を取って、分厚い草履で、 バターン、バターンと、気怠そうに廊下を歩く。 これを見れば、お稲荷さん じゃないってことは、誰でもすぐ分かる。 ここは、吉原じゃないですか。 お 稲荷さんと、弁天様も一緒にやってるんだ。 私は帰ります。
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