フランス語を永戸(えいと)俊雄先生に習ったか2016/05/27 06:24

 塾員招待会からクラス会までだいぶ時間があったので、大桟橋まで散歩する かということになった。 後発になった4人で会場を出ると、快晴で、海風が 心地よい。 体育会卓球部2人に、ワンダーフォーゲル部だから、みな健脚、 スーツに革靴でよろよろ付いて行く。 先発の連中はおらず、一服しようとし た頼みのカフェは、結婚式などで貸切だった。 大桟橋を先っぽまで行って戻 ったら、これも夕食までの時間つぶしか、入口で休んでいた先輩らしい一団に、 「元気だね」と声を掛けられた。 結局、中華街の会場まで歩いて、けっこう な散歩となった。 帰っての万歩計は、15,013歩だった。

 その散歩中も話し、クラス会でも、みんなに聞いてみたことがあった。 先 日、池波正太郎の随筆集『一升桝の度量』(2011年・幻戯書房)を読んでいた ら、「永戸(えいと)俊雄」という名前が出て来たのだ。 二年生までいた日吉 の頃、フランス語を横部徳三郎先生に教わった。 いつも赤い顔で、酔っ払っ ていて、前期と後期の試験に同じ問題を出したような記憶がある。 その後、 永戸(えいと)俊雄先生にも習ったような気がするのだが、先生の風貌も、何 を習ったのかも、記憶がまったくないのだ。

 池波正太郎は「乱読の歳月」というエッセイに、こんなことを書いていた。  海軍に入隊することになって、民間人としての最後の二日を修善寺で過ごした が、上野駅前の書店で他によい本がなく、小川未明の童話集を買い、車中でも 宿屋でも読みふけった。 修善寺から横須賀に直行すると、戦地で病気になり 帰還していた従兄が送りに来ていたので、その本を浅草の家に届けてもらった。  従兄は、「お前、よく、本が読めたもんだな」と、いった。 その小川未明童話 集は、他の本と共に、東京の空襲で、みんな、灰になってしまった。 その前 に、横浜航空隊にいた池波正太郎さんは、外出で東京へ来たとき、マルセル・ パニョルの戯曲[マリユウス]と[ファニー]の二冊を隊に持ち帰った。 「マ ルセイユを舞台にした、このパニョルの名作を訳したのは永戸(えいと)俊雄 氏でまさに名訳であった。」「白水社から出版されて間もなく、文学座がこれを 築地小劇場で上演し、まだ若かった杉村春子のファニーと亡き森雅之のマリユ ウス。三津田健のセザール、中村伸郎のパニスという配役で、私たちを大いに よろこばせた。」「こうして終戦後、復員した私の雑嚢(ざつのう)の中に入っ て、パニョルの二巻は私と共に生き残った。定価一円二十銭。藤田嗣治装幀の 二巻は、いまも私の書庫の中にある。」と。

 永戸(えいと)俊雄先生のことを、クラス会で聞く。 はっきりと憶えてい る人は少ないが、「習った、習った」という声もあった。 サン=テグジュペリ の『星の王子さま』の原書を、どんと渡されて、驚いたという人もいた。 横 部徳三郎先生に代わって、一年の最後の三か月を担当したという証言もあった。  そういえばサン=テグジュペリの、『星の王子さま』ではなく、『人間の土地』 を読んだような記憶があった。 どうも、永戸俊雄先生に教わったことがある らしいというのが、結論だ。 フランス語をすっかり忘れてしまったのはもち ろんだけれど、永戸俊雄先生、よく憶えていなくて、すみません。

コメント

_ 濱田洪一 ― 2016/05/28 11:51

工学部1年B組のクラス会では、担任だった高梨健吉先生が、イサベラ・バード『日本奥地紀行』の訳を出版されていることが話題になりました。4月28日、日経新聞経済教室で、一橋大学小塩隆士教授が、サン・テグジュベリの「地球は先祖から受け継いだものではない。子供たちから借りたものだ」を紹介されてます。

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