小満んの「髪結新三(上)」後半2016/06/01 06:32

忠七は、慌てたもので、庭下駄で来ていた。 新三は、足駄に蛇の目の傘。  稲荷堀(とうかんぼり)まで来たところで、バラバラッと雨になった。 新堀 のあたりで恐ろしい降りになり、風も強くなる。 大股でスタスタ行く新三を、 忠七は追いきれない。 私は庭下駄だ、傘に入れてくれないのも不人情だ。 こ れは俺の傘だ。 お熊は、とうから俺の色(女)だ。 帰えれ、帰えれ、放せ よ、と振り払う。 すがりついてくるやつを、向う脛を足駄で蹴り、ぬかるみ に倒れたのを傘で叩く。 新三は永代の橋を渡り、忠七はあとに残される。

五月五日、いい天気になった。 車力の善八が女房に、お店でえれえことが あった、お嬢さんがさらわれた。 廻り髪結の新三って野郎だ。 深川の富吉 町の野郎の家で、お嬢さんはなぐさめられて。 これで話をつけてくれって、 財布に十両、おかみさんに渡されて、行って来た。 野郎、朝から一杯飲んで いて、十両のめくされ金なんぞ、てめえにくれてやると言う。 おっかあ、い い知恵はないか。 葺屋町の親分、弥太五郎源七さんに頼むといいよ。 悪い 奴には、悪い奴が行ったほうがいい。 手ぶらじゃあ何だから、六さんから貰 った落雁を持って行きな。 まず、坊っちゃんにと、出すんだよ。 断られた ら、おかみさんに出す。 「雌鶏勧めて雄鶏時を告げる」というからね。

車力の善八か。 弥太五郎源七は、太い銀煙管で煙草を喫いながら、丈夫な のが何よりだ。 坊っちゃんはどちらに、これ、つまらないものですが。 親 分にお願いがあって参りました。 お店の若旦那なら二階だ。 いえ、お嬢さ んのことで、騙されて深川の富吉町に連れて行かれて、なぐさめられた。 最 中(もなか)か。 持って来たのは、落雁で。 休み休み、口を利いておくれ よ。 野郎、手前えの女房連れて来て、何が悪い、と。 かかあが、親分さん にお願いしろ、悪い奴には、悪い奴が行った方が…。 お前さん、正直だな、 それ相応の者を、探しておくれ。 では、雌鶏の方へ。 ねえ、お前さん、行 って面倒見てあげたら…、行っておあげなさいよ。

旧暦五月五日、薩摩の着物に、八端の帯、堂島の下駄で、弥太五郎源七は出 かけた。 <獅子舞の太鼓叩かず笛吹かず後足にて世を喜ばす>。 これから、 ひと悶着がある。 それはまた、来月。

志ん輔の「厩火事」2016/06/02 06:33

 世の中、男の人と女の人で、噺家は話がうまいから、もてるでしょうって言 われるけれど、下手です。 皆さん方のほうが、上手い。 最近は、社会人や って、ずぶの素人で噺家になるのがいて、言ってみれば小痴楽のようなもの、 人の懐に入って行くのが上手い。 方々で、粉かける。 ああなりたい、心の 底から、ああなりたい。 互いに望む人に巡り合うのは、8の順列組み合わせ、 階乗、ロト6より難しい。 米俵の中の米一粒。

 兄(にい)さん! お前たちには、愛想も小想も尽き果てたね。 仲人なん だから。 兄さんよっか、頼る人がない。 どうして、そう切り口上なんだ。  今日、あ(た)し、休みだった。 芋煮るのが好きで、八つ頭煮てた。 また 芋か。 悪いかい。 このヤッチャバ女。 生のものなら、少し腐ってたって 食うだろう、この魚河岸野郎。 おかめ! ひょっとこ! 外道! それで、 飛び出して来た。 お前が、ちょっと我慢すれば、いいんだよ。 私が稼いで、 あれを養っている。 耳障りだね、二階の居候にお前が惚れた。 あれだけや めなって、言った。 腕のいい髪結が忘れられるんだねって、言ったよ。 あ れは弟弟子だけれど、かばえない、いい所ないね、しゃあないよ。 別れな。  あれの為になる。 俺も楽だ、お別れ、お別れ。

 夫婦ってものは、そういうもんじゃないでしょう。 鼻なでてくれたりする と…、あたしゃあ、ポォーッしてしまうんだよ。 のろけに来たのか。 私は、 あの人の本心が知りたいだけなの。 私が年上、六つも上、年取って、あの人 が若い娘を連れてきて、噛みつこうと思っても、土手ばかり。

 どうすりゃあ、いいんです。 モロコシの孔子だよ。 トウモロコシ? 孔 子という学者。 幸四郎の弟子? 役者でしょ? 学者だ、馬が好きで、一番 に愛でていたのが白馬。 ウチと同じ、冬場はこれに限るって。 どぶろくの 話じゃない。 孔子の厩には二頭の馬、その日は乗りかえのアオの方に乗って、 役所に出かけた。 その留守に、厩が火事になり、白馬を助けることはできな かった。

 余の留守に火事であったか。 すみません、ご愛馬を…。 家来の者一同、 怪我はなかったか。 火事だけは、気をつけねばならんぞ。 馬のことは、一 言も言わなかった。 家来たちは、終生、忠義を尽そうと思った。

 一方、麹町にさる殿様がいた。 面白いのね、猿が殿様なんですか。 名前 を言えないから、さる殿様、焼物が好きで。 私と同じ、いくときは三本位い っちゃう。 焼芋じゃない。 青磁のなんちゃらというもので、奥様だけが取 り扱う。 階段で運んでいて、足袋が新しく、ダ、ダ、ダ、ダ、ダッと、尻餅 をついた。 殿様、皿は大丈夫か、皿は大丈夫か、と三十八回も、聞いた。 明 くる日、奥様が出かけたきり、帰って来ない。 実家から、ご離縁を、と言っ て来た。 薄情な殿様だと評判になり、生涯独り身で過ごした。

 ウチの人も、同じようなものが好きで、汚い皿を大切にしていて、私には触 らせない。 市で、二円で買ったとか、黄色い布に包んで、入れたり出したり して、ニヤニヤしている。 それだ、洗うふりをして、すってんころりんと転 んで、割ってしまえ。 身体を気遣ってくれたら、モロコシだ。 兄さん、先 に行って、そう言ってもらえませんか。 皿のことばかり、言っていたら、別 れろ。 嫌だね、本当に。

 また、兄貴ん所だな。 折角つくった飯が冷めちまったよ。 お前さん、ご 飯つくってくれたの。 たまの休みだ、飯ぐらいいっしょに食いたいよ。 モ ロコシか。 頂きますけど、やらなきゃならないことがある。 そこを開ける んじゃない。 洗ったげるだけ。 ほらみろ、割ったじゃないか。 大丈夫か、 怪我はなかったか? エーーーッ、よかった、よかった、よかった、お前さん が麹町のサルだったら、どうしようかと思った。 モロコシだったよ。 何言 ってるんだ、怪我はないか。 お前さん、私の身体を気遣ってくれたんだね。  当り前だよ、お前に怪我でもされてみろ、明日から遊んでて、酒が飲めねえ

花緑の「紺屋高尾」前半2016/06/03 06:38

 いきなり私事ですが、髪形を変えました。 月島の老夫婦だけでやっている 喫茶店で、勘定を払う時、「失礼ですが、大阪府知事をやった橋下徹さんですよ ね」って言われた。

 タニマチに、藍染の人がいた。 爪の間に、色がついている。 人生、生き 方が残る。 その方は、八十歳を超えて亡くなったが。

 おっかあ、どうしたんだよ、久蔵は? あの子、恋わずらいだって。 聞い たら、吉原の高尾太夫に惚れたんだって言うのよ。 お前さん、くわしく聞い てみておくれよ。

 久蔵、聞いたぞ、恋わずらいだってな。 おかみさん、誰にも話さないって、 言ったのに、女は嘘つきだ。 一つ、学んだじゃねえか。 錦絵かなんか、見 たのか。 この間、友達に話の種だと連れて行かれて、花魁道中を見た。 行 ってよかった、ひときわ奇麗なのは、三浦屋の高尾太夫だった。 目がきれい で、目が合ったら、体の力が抜けてしまった。 それからは、仕事も手に付か ない、もう死んだ方がまし。 大名道具という太夫だが、花魁は売り物だ、駄 目元だ、金を貯めて行けよ。 いくら? 一晩、十五両。 あっしに、稼げま すか。 あきらめるな、三年だな、貯めさせてやるよ。

 あっという間に、三年という月日が経った。 今日はお休みを頂いて、湯と 床屋へ行って、いい着物も着た。 お預けしている金、いくらになっています か? 十八両二分だ、もう一両二分貯めて、故郷(くに)へ帰れ、上総湊だっ たな、実の倅から二十両、親は喜ぶぞ。 その中の十五両、使いたいんですけ ど。 大金じゃないか、何に使うんだ? 親方、忘れたんですか。 何だよ。  買うんです。 家でも買うのか? どうして忘れるんだろうな。 勘弁してく れ、久蔵、わからない。 勝手です、早くお金を出して下さい。 俺が納得し ないと、金は出せない。 言ってみりゃあいい、言ってみろよ、久蔵。 高尾、 買うんです。 鷹匠と友達になれんのか、メジロか、ジュウシマツにしといた らどうだ。

 お前、覚えていた。 えれえことになったぞ。 会えるでしょ? 落ち着け よ、吉原には吉原のしきたりがある。 くわしい人物に頼もう、藪井竹庵先生、 ちょうど家の前を通っている。

花緑の「紺屋高尾」後半2016/06/04 06:20

 竹庵先生、久蔵がこれこれ、こういうわけで。 目がマジになっている。 女 郎買いで、患者を治せるのは、先生だけ。 今晩、高尾に会いますが、人間に はいろいろあってな、嘘をつきましょう、紺屋の職人ではなく、野田の醤油屋 の若旦那ということにして、派手な頭、派手な着物にしよう。 久さん、いい ね。 私のことも、藪井と呼ぶんだ。 手は袂(たもと)の中にしまって、手 が染まっているから。 言葉も、「アイ、アイ」とだけ言えばいい。 「アーイ アイ、アーイアイ、お猿さん(だよう)」。

 誰もが会えるわけではないが、茶屋に掛け合うと、たまたま高尾が空いてい た。 そういう若旦那と、話でもしとうござんす。 箱提灯に送られて、高尾 の部屋へ。 久蔵は、ガタガタ震えている。 香の匂いがして、禿(かむろ) に手を引かれた、高尾が入って来て、横っずわりに座る。 ぬし、煙草を喫い なんすか。 (手を出せないので)袖で受ける。 そんな久蔵を、高尾は見事 にもてなして、一人前の男にしてくれた。

 からすかあで、夜が明けて。 高尾は、お化粧をし直して来る。 久蔵の顔 を見ながら、煙草を一服喫いなんし。 火玉の踊るほど。 ぬし、お裏はいつ ざんすか。 アイ、アイ。 お裏はいつざんすか。 アイ、アイ。 今度、い つ来てくんなますか。 三年経ったら、また来ます。 もっと早く。 来らん ない、金がありません。 ご冗談を。 私は紺屋の職人で久蔵という者で。 ぬ しは、あちきをだましたんで。 花魁道中で、花魁の目を見たんです、いいん だなあ、その目が。 それで、働いて、働いて、働いて、来た。 もっと一生 懸命働いて、早く来ますから。 一つ、お願いがあります、今度会った時に、 久さん元気、と声をかけてくれませんか。

 高尾は、涙を一つこぼし、その話、本当ですか? 本当です、見て下さい、 この手を、紺屋の手。 こんな真心の方は初めてです、来年三月、年が明けま す、わちきのような者でも、ぬしの女房はんにしてくれますか。 眉を落とし て、歯を染めて、参ります。 簪(かんざし)を三十両にして、持参金に渡す。  久蔵は涙にくれた。

 久蔵、何が何だか、わからなくなっちゃった。 親方、タッタ、タッタ、タ ッタ。 大相撲の巡業のよう、降られたのか、晴れ間か。 来年三月十五日、 眉を落として、歯を染めて。 確かなものを、貰ってきたんだもん。

 来年三月十五日、行くよ来るよで、四つ手駕籠が着いた。 丁稚どん、ご当 家に久蔵さんという方がおいでで? 親方、タッタ、タッタ、タッタ。 来ま した、三月十五日が。 久蔵、高尾が来たぞ。 久蔵は、親方の上を飛び越え た。

 花魁! 久さん、元気! はい、有難うございます。 親方はじめ、みんな 涙を流した。

 夫婦で店を出した。 高尾太夫に、また来てくんなまし、と言われる。 染 める物、もう何もない。 フンドシでも染めるか。 門前市をなしたという「紺 屋高尾」という一席。

私の「松永安左エ門」2016/06/05 07:20

 いささか旧聞になったが、福澤諭吉協会の弘前青森旅行から帰った、翌5月
16日が、福澤先生ウェーランド経済書講述記念日の記念講演会で、杉山伸也名
誉教授の「福澤桃介と松永安左エ門」という話を三田演説館で聴いてきた。 松
永安左エ門は、私の出た慶應義塾志木高校の校地を寄付した人だから、これま
でにも何度か触れてきた。 杉山教授は、桃介が慶應の旧図書館や大講堂に多
額の寄付をしたことには触れたけれど、松永の志木高校地には言及しなかった。 
講演については、あとから書くことにして、まず私が今までに松永安左エ門に
ついて書いてきたことを整理しておきたい。

【等々力短信】
第524号 1990.3.5. 鬼のおかげ/白崎秀雄『耳庵 松永安左ェ門』(小人閑
居日記・2015.10.15.)
第525号 1990.3.15. 実業家にして/大茶人・東邦産業研究所、文化的な
仕事(小人閑居日記・2015.10.16.)
第526号 1990.3.25. 八十青年欧米視察/祖国とその産業をどうしたら立
ち直せるかの烈々たる至情(小人閑居日記・2015.10.17.)
第637号 1993.5.25. 古川散歩党/福沢と散歩した松永安左ェ門さん
第893号 2000.10.25.  校正畏(おそ)るべし/追悼・土橋俊一先生(2)
小泉信三・吉田小五郎、後進を褒める手紙(小人閑居日記・2015.10.18.~19.)
第912号 2002.2.25. 松永耳庵コレクション展/今の値段で100億円の茶
道具、惜しげもなく寄贈
第995号 2009. 1.25. 未来をひらく 福澤諭吉展/もう一つの福澤山脈、
散歩党松永安左エ門
第1057号 2014.3.25. 気骨の人の明快な決断

【小人閑居日記】
2006.2.28. 野火止の平林寺・松平源朝臣墓
2011.6.10. 桃介と松永安左エ門、水力発電計画
2011.6.11. 木曽川は水力発電に最適だった
2011.6.12. 桃介と西園寺公望、「坐漁荘」
2012. 6.28. 広尾狸蕎麦別荘…高橋義雄、福沢範一郎さん
2014.3.22. 松永安左エ門さんの遺言状
2014.3.23. 小田原の松永記念館
2014.3.24.  所沢の柳瀬(やなせ)山荘
2014.3.20.  松永安左ェ門旧蔵の「釈迦金棺出現図」
2014.3.21.  耳庵旧蔵美術品が国立博物館にある理由
2014.3.22. 松永安左エ門さんの遺言状
2014.3.23. 小田原の松永記念館
2014.3.24. 所沢の柳瀬(やなせ)山荘
2014.3.25. 松永安左エ門さんと慶應志木高(1)
2014.3.26. 松永安左エ門さんと慶應志木高(2)
2014.3.27. 松永安左エ門さんと慶應志木高(3)
2014.3.28. 松永安左エ門さんと慶應志木高(4)
2014.3.29. 松永安左エ門さんと慶應志木高(5)
2015.10.15. 鬼のおかげ、「松永安左エ門」(等々力短信・第524号)
2015.10.16. 大実業家にして大茶人(等々力短信・第525号)
2015.10.17. 八十青年欧米視察と日本経済再建(等々力短信・第526号)
2015.10.18. 訂正、土橋俊一先生のご指摘で(等々力短信・第893号)
2015.10.19. 『福澤諭吉全集』完成記念会(等々力短信・第893号)
2015.10.20. 福沢の散歩のお供をして
2015.10.21. 松永安左エ門と福沢桃介・美術品・慶應志木高