「史論」、帰納法を用いた人民の歴史2016/07/12 06:31

 杉山伸也・川崎勝編『馬場辰猪 日記と遺稿』、つぎは川崎勝さんの「歴史叙 述の方法と社会人民―「史論」解題―」を読む。 「史論」は、『朝野新聞』の 1882(明治15)年12月23日、24日、27日の「論説」欄に掲載された。 馬 場辰猪の署名はない。 1987-88年の『馬場辰猪全集』編纂時には、馬場の 著作と判断することができなかったが、新発見の「日記」の同年12月21日~ 23日の記事によって、馬場の著作と判定することができたのである。

 馬場は歴史について、日本は未だ「概括力」に乏しいとした。 (福澤諭吉 の著作はまさにこの「概括力」の典型のようなものである、と川崎さんは書く。)  馬場はイギリスで帰納法的な歴史アプローチを学び、それを明治日本に適用し ようとした。 「概括力」の発達、すなわち「人間思想ノ開進」を「歴史」の 中から明らかにしようとする思考方法だった。 歴史の進展に馬場が見ようと したのは、「開明」に向かう思想の「進歩」が「進化」の理に叶うものであると いうところにあった。 また「人為ノ偏重力」を打破するものとして「平均力」 の意義を強調した。

 1881(明治14)年10月15日に開校した明治義塾の初心者向けの科外課程 は英語の習得を目的としたもので、その講義の中に、「パーレー万国史」と「ク ワッケンボス氏小米国史」が見られる。(そのカリキュラムは、明治前期の慶應 義塾のそれを簡略化したもの。)

 そこで「史論」だが、人民の活用できるものが「真ノ歴史学」である、とす る。 人類社会の日々の進歩という揺るぎない確信のもとで、歴史叙述の意義 は、王家の変動や英雄豪傑の興亡盛衰だけでなく、社会事物の変遷と文物工芸 等の消長を知らしむるものだ。

 それには帰納法を用いて事実を分類詳記することが必要だ。 演繹法は、兎 角敷衍になったり、臆想に成ったりする。 「帰納」と「演繹」は、イギリス では常識だったが、日本では十分に理解されていなかった。

 (「帰納法」…経験・実験等によって個々の具体例から普遍的な結論を導き出 す思考方法。一つ一つの事実を総合して、そこから一般的な法則を求める方法。  「演繹法」…ある前提から必然性をもって、段階的に結論を導く思考方法。前 提をもとにして、論理のみに従って必然的な結論を導き出す方法。)

 「史論」からは、1882(明治15)年末にすでに帰納法を用いて、社会の出 来事の一つひとつを、しかも従来無視されてきた被治者、人民をいかに歴史に 取り込むかという視点を確立していたことを読み取らなければならない。 中 江兆民の「迭降」「迭昇」について教示頂いた井田進也氏の言葉、「政府が「上 からの」(迭降的)歴史を歴史家・国民に押しつけようと躍起になっている時に、 「下からの」(迭昇的)史観として「帰納法」に拠るべきことを早々に唱えてい たことを意味し、馬場の今日的意義躍如たることを覚える」。 1882年の「日 記」の発見は、史論家馬場辰猪の発見でもあった。 このように、川崎勝さん は「史論」の解題を結ぶ。