弱き者、汝の名は「男」なり2016/07/27 06:32

 乙川優三郎さんの『逍遥の季節』(新潮社・2009年)という短篇集を読んだ。  一貫するテーマは「芸や技術を身につけた芯の強い女性」である。 初出は『小 説新潮』の2008年8月号~2009年8月号までの7篇。 私が乙川優三郎さん の名を初めて知った2009年2月からの朝日新聞連載『麗しき花実』(昨年10 月104歳で亡くなった中一弥さんの挿絵)と、時期とテーマが重なる。 女性 が身につける芸や技術は、「竹夫人」が三味線、「秋野」茶道、「三冬三春(みふ ゆみはる)」画、「夏草雨」根付、「秋草風」染色、「細小群竹(いささむらたけ)」 髪結、「逍遥の季節」花道と舞踊だ。

 「三冬三春」の二人、阿仁(あに)は根岸の酒井抱一の雨華庵(うげあん)、 “さち”は谷文晁の写山楼に通う弟子だ。 二十二歳と十八歳、それぞれ紅雨、 文幸と呼ばれ、仕事ももらい、本郷の借家で一緒に、どうにか画業で暮らして いる。 下谷の高禄の御家人と、根岸の里を包む金杉村の百姓と、育ちも才能 も違うが、丹青(絵画)に女の可能性と自由を求める人生は同じであった。

 『麗しき花実』は、西国の蒔絵師の家に生まれた娘が兄に付いて江戸に出、 根岸の里で原羊遊斎のもとで蒔絵の修業をする話だったが、「三冬三春」にも原 羊遊斎が出てくる。 酒井抱一の雨華庵の隣には、羊遊斎の寮があり、蒔絵に も熱心な抱一は、名工の原羊遊斎と組んで数多の名品を世に送り出していた。  さちは、羊遊斎の寮で働いていたことがあり、抱一門下の田中抱二の友人でも あったことが、阿仁とさちを結びつけることになる。

 酒井抱一は高弟の鈴木其一や池田孤邨に雨華工房とでもいうべき画業を任せ て、自身は寡作だった。 光琳画を意識し、変形し、単なる亜流ではないこと を証すために得意の俳諧と江戸の季節を取り入れ、おそろしく俳味の強い繊細 な情緒の世界という画風をつくっていた。 高弟の二人に指導されて、門人の 多くが組物の十二ヶ月花鳥図の制作に加わるようになる。 一方、さちの通う 谷文晁の写山楼は、描くものも画法も多彩で自由だった。

 雨華庵の十二ヶ月花鳥図には、六曲一双の屏風装と、掛幅装で毎月掛け替え を愉しむ月次花鳥図がある。 大事な一月を飾る図は「白梅と紅梅に鶯」か、 「白椿と蒲公英と菫に鶯」という具合に。 阿仁は、この定番に無難さと退屈 を感じ、停滞感を打ち破りたいと思い、これを壊さなければ新しいものはでき ないと、冒険に乗り出す。 阿仁は、十月の構図に、柿の代りに楝(おうち) の木、そして懸巣を描いた。 子供の頃から金杉村で楝と懸巣を見てきたさち は、懸巣はがらっぱちで卑辛棒(いやしんぼう)なのと指摘、阿仁は真景の情 趣を殺してしまうところだったと、懸巣に楝の実を銜(くわ)えさせた。

 付き合っていた兄弟子の鶏邨に見せると、本物かどうかは先生でなく世間が 決めてくれる、まずは雨華庵の門人をやめることだろう、という。 鶏邨はど うかと訊けば、「雨華抱一の名は大きいからな、おれのような画才ではぶらさが るしかないのさ」というのだ。 鶏邨は、抱一の贋作を描いていた。 阿仁は 別れの時と悟る。