児玉和子さんの第二句集『熊鈴が』2016/07/29 06:31

 結社誌『夏潮』のお仲間で、ご一緒に渋谷句会の幹事をしている児玉和子さ んが、第二句集『熊鈴が』(ふらんす堂)を上梓され、ご恵贈頂いた。 2007 年までの三十余年の句を収めた2009年の第一句集『白梅の家』(本阿弥書店) については、この日記の2009年 7月24日の「児玉和子さんの句集『白梅の 家』」と、25日の「誕生の現場に立ち会った句」に感想を書かせていただいた。

 『熊鈴が』は、その後7年間の句から300句を選び、新年「寒椿」、春「菊 苗」、夏「百日紅」、秋「荻の風」、冬「花柊」の五章で構成されている。 「寒 椿」の章に、章題にもなっている<寒椿父に砲兵たりし日々>がある。 私は 先年『白梅の家』について、「51頁の<砲弾の如寒鯉の沈みをり>から、和子 さんが九段で開かれた昨年の『夏潮』新年会句会で詠まれた<寒椿父に砲兵た りし日々>を思い出した。」と書いていた。 そういえば今年の新年会では、和 子さんが三人で謡の「高砂」から「千秋楽」を朗々と謡われたのだった。 学 生時代から嗜んでいると聞く。

 <食積や旧家継ぐべく生まれ来て>。 食積(くいつみ)は、正月用重詰で ある。 「あとがき」で99歳の義母の在宅介護を続けていて、児玉家は、山 歩きやテニスを共に楽しむ夫君は惟純、長男は維基、二男は維賢、長男家の孫 三人は惟虎、惟貴、惟朝というお名前だとわかる。 「惟」、そして「維」も「こ れ」とお読みするのだろう。 うろ覚えだけれど、茶坊主の御家とお聞きした ように思うのだが…。(コメントをご参照下さい) 茶坊主というのは幸田露伴の幸田家を持ち出すまでも なく、茶事を司るだけでなく祐筆を兼ね有職故実に明るい職掌だったのであろ う。 それはさておき、前書のある三人のお孫さん誕生の句がいい。 初孫 惟 虎誕生 二〇一〇年四月一五日<嬰抱いてゆつくり歩く暖かし>、二人目の孫 惟貴誕生 二〇一三年六月一九日<みどり児の二重瞼の涼しさよ>、三人目の孫 惟朝誕生 二〇一六年二月二〇日<みどり児の福耳なるよクロッカス>。

 児玉和子さんの句には、たえず舌を巻き、脱帽する。 数等上のレベルにあ ることを、いつも感じさせられている。 好きな句を十句。

ふらここを漕げば水平線が見え

からたちのはなびらはらとひらきをる

幹は墨花は薄墨大桜

橋の名に江戸が残りて花の昼

黄菖蒲のひとひらゆがみ風過ぎぬ

梅雨寒のフリンジ古りしピアノ椅子

キンチョールの琺瑯看板日の盛り

一処どかと窪める稲田かな

鰰(はたはた)の眼の上眼遣ひなる

おでん屋のめつたに笑はない女将

コメント

_ (未記入) ― 2016/08/02 12:04

児玉和子です.
『熊鈴が』について、お書き下さり、ありがとうございました。児玉の家は茶坊主ではなく、高松藩の藩士でした。児玉惟時という、夫の曽祖父が山岡鉄舟と御前試合をした、と聞いています。

_ 轟亭 ― 2016/08/02 16:51

失礼しました、高松藩の藩士でしたか。

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