母を描いた野口冨士男の私小説『風の系譜』2016/08/16 06:53

 私小説を中心にした純文学作家、野口冨士男の『風の系譜』(講談社文芸文庫) を読んだ。 大学同期の平井一麥(かずみ)さんは、野口冨士男の一人息子で、 2008年 10月29日のこの日記の「定年後、学校に入り直す」で、文春新書で 刊行した著書『六十一歳の大学生、 野口冨士男の遺した一万枚の日記に挑む』 を紹介したことがある。 その時も書いたが、彼とは卒業25年の記念事業で 知り合ったのだが、仲間内に小説など読んでいて、野口冨士男という名前を知 っている者が少なかったらしく、話をするようになって、「等々力短信」も読ん でもらうようになった。 その後、お父上の本が新たに出版されると、贈って 下さるのだ。

 今年3月、野口冨士男が二十代で書いた実質的な処女作である『風の系譜』 が、七十余年の時を超えて、講談社文芸文庫で初めて文庫化された。 母と父 の半生を中心に、複雑な一族の系譜が描かれている。 巻末に平井一麥さんが 「『風の系譜』みたび―著者に代わって読者へ」で、この私小説の「(小室)多 代は野口の母・平井小トミ、佐海新助は父・野口藤作、松太郎が野口冨士男で あることはいうまでもありません」と書いている。 私小説の作家は、周りの 人々を傷つけ、自分も傷つきながら、作品を紡ぎ出す。 野口冨士男は、芸者 の子だった。

 人間関係が複雑なので、平井一麥さんが初めに主要な登場人物を掲げている。 多代の母小室トメは、神戸で散髪屋と初婚して千代誕生、錺(かざり)職と再 婚して多代誕生、夫に死なれ一人東京に出て神田の友朝という牛屋で女中奉公 をしていて、小室寅造と三婚する。 トメには、神戸に母と荒物屋をやってい る三之助という弟、その下に妹二人カツとタマがいた。 佐海寅造は靖国神社 に接する富士見町の花街で車宿を営み、先妻との間に謙造という男の子がいた。 

明治29年初春、6歳の多代は、祖母や叔母にあたるタマとともに東京に呼び 寄せられ、寅造の車宿加賀屋の子となる。 やがて寅造トメ夫婦は、車宿の株 を売り、待合・富久家(とみひさや)を開業する。 たまたまだが全盛を誇っ た人力車は、辻馬車や鉄道馬車、さらには電車の発達や自転車の利用で、一路 衰退の道をたどった。 富久家は、一時の好調に味を占めて新築したのが躓き のもとになり、日清戦後の景気反動が手痛く祟って、どうにも世帯が苦しくな る。 富久家の女中同様のことをしていたタマは五番町に住む英国人の洋妾(ラ シャめん)となり、多代も千代本という芸者家へ仕込みっ子として住み込む。 「芸者になれば、お父ッつぁんやおっ母さんに遠慮気兼ねをすることはない。」 多代の気持の奥底には、たしかに小さな暗いところから、すこしでも大きな明 るい場所にでていきたいという、せつない願いがひそんでいた。