夫は失敗を重ね、妻は再び芸者になる2016/08/18 06:19

多代17歳、新助22歳の夫婦は、市ヶ谷の高台に住む。 こんな日を送って いては勿体ないと言った多代の言葉に、新助は丸善に注文してアメリカから養 鶏の本を取り寄せ、夫婦は養鶏と下宿屋を始める。 喜代子が生れた。 しか し新助の大学会計での使い込みが新聞に出て退職、鶏舎も野犬に襲われて全滅 してしまう。 19歳になっていた多代は、親元に融通してもらって、富士見町 に待合・新富を開業する。 だが待合の亭主で、閑な新助は勘定をつかんで、 他の土地へ遊びに行ったりするのだ。 男の子、松太郎が生れた。 新助は多 代に言われて、頭を下げ、お咲から関口に頼んでもらって、支店ではあったが 二流のうちでは頭株といわれる日本橋の銀行に、出納の職を得る。 多代は新 富の店を閉じ、夫婦は子供ぐるみ、赤坂で古道具屋から酒屋になっていた老夫 婦、金兵衛ヨネの家の二階へ引っ越す。 舅姑たちに辛抱のしかねるほどに悪 しざまに罵られる明け暮れだったが、嫁の多代にとって生まれ変った新助のた のもしさだけが唯一の慰めで、早く月給がふえて、別に一軒家を持ちたいもの だと、念じつづけた。

しかし、新助は支店長の浮き貸しの責任を押しつけられる貧乏籤を引かされ て、再び失職してしまう。 一年近い日をなんとか過ごすが、どうにもならな くなって、多代は津の守(つのかみ・四谷荒木町)に芸者家の愛知家を開業す る。 看板金という土地の見番へ納める一種の権利保証金や、二人で七百円の こどもを置こうというので、日本橋の無尽会社から二千円を借り、さらに千円 借りた。 三千円という金は生やさしいものではない。 新助は大学の会計に いた頃、月謝の滞納をごまかしてやった先輩と偶然会って、その謄写版販売の 店に勤める。

花柳界に育って、世間の義理というようなことには、強固な責任の観念を持 ち、人情にもろい多代は、借金を自分の名義にして引き受け、佐海新助妻多代 という戸籍面のまま、再び芸者になる決意をする。 その代わり新助が子供を 育てる相談にして、二人を連れて赤坂の養父母の家に移った。

 忙しい多代におろそかにされる新助は、多代の心が自分の上になくなってし まったと想像し、わびしい末枯れた心になる。 同時に女から養われていると いう、たえがたい屈辱の自覚もあった。 同じ津の守で遊んでいるという噂が 多代の耳に入る。 「あたしは現在ぴんぴんしゃんしゃんしている人の女房で ありながら、こうして泥水稼業の芸者にまで身を落しているんですわ。あなた や子供のことを思わなければ、こんな苦労は出来ないじゃありませんか。」 新 助は「旦那はいないのか」「りっぱに不見転(みずてん)をしているじゃないか」 と返す。 多代は「良人も子供もある上に、三千円からの借金を抱えているん ですよ。お綺麗ごとですまされるはずはないじゃありませんか」。 この大喧嘩 に、義父小室寅造が駆け付け、二人は心ならずも離婚させられるのだ。