無尽会社・田舎芸者・妾ぐらし・三度の芸者2016/08/19 06:20

来る日も来る日も無尽会社の掛け金に追われた多代は、二千円足らずの金を ひねくり出すのために泣きの涙で芸者家をたたんだ。 看板や権利を売って、 抱えは住み替えに出し、それでも足りぬところは、自分が六百円前借、四年半 年期の住み込みで、埼玉の田舎芸者に身を売ることに決めた。 群馬に通じる 街道に沿った人口四千にも充たない小さな町だった。 そこで日暮里でゴム靴 工場をやっている島村という男に落籍されて、九段の招魂社脇の富士見軒とい う西洋料理店(今の日伊文化会館の所)の裏の仕舞屋で妾ぐらしをするように なる。 妾ぐらしといっても地味な世帯で、多代はすすんで島村の仕事関連の 靴紐のマニラ麻を綯(な)う内職をした。 南地(烏森)から芸者に出るが、 いじめられて飛び出し、島村の名義で富士見町の寅造から金を借り、また津の 守で、多代の小室と島村から一字ずつ取って、芸者家・小島家を開業する。

一年、二年経つ内に、世界大戦の好況によって、多代の暮しもどうやら整い 始めた。 新助は北支に貿易の仕事で渡り、子供達は名古屋に引っ込んだ養父 母に預けられる。 「おのれをもみつぶして、他人のために生きることは美し いかもしれない。」「けれども、いったい彼女がこれまでに積みかさねてきた過 去は、はたしてどれだけに他を充すことが出来たというのであろうか。」 どん なに苦しくとも、母親としての意識が、みずから舌を噛み切ることをくいとめ た。  「生きるために、子供を育てるために、彼女は二度、三度、芸者にな った。彼女にはこうすることが正当であった。こうするよりほかに方法はなか ったのである。」