タイに製糸技術を教えた富岡製糸場の工女2016/08/28 07:01

 22日の「私の祖母も芸者だった」を読んだ弟からメールがあり、8月25日 (木)の日経新聞の文化欄に“タイ生糸で歴史紡いだ娘”という記事が掲載さ れているのだけれど、祖母の若き日に思いをはせる、という点では、何か相通 じるところがあるという。 日経新聞は、会社を畳んでから読む必要がなくな ったので見ていないけれど、ネットで検索して件の記事をだいたい把握した。

 「どこの家庭にも秘められた歴史というものがあるのではないだろうか。」  古田節子(童話作家)さんの祖母小金澤さわ、そろばんが得意な利発な子だっ たので、高等小学校の担任の先生に頼まれて、富岡製糸場に入った。 タイで 宮廷を中心に絹の需要が増える中、輸入に頼らず、自国で安定的に生産したい ということになって、日本に養蚕と製糸の技術指導を求める。 日本から多く の男性技術者がタイに渡り、農学や養蚕学を教えた。 現場の製糸技術を教え るため工女の小金澤さわも、タイへ渡ったのだった。 古田節子さんがアルバ ムを持って大使館を訪ねると、東南アジア史の研究者、吉川利治大阪外国語大 学(現大阪大学)教授を紹介され、外務省の外交文書とタイの公文書に小金澤 さわの名前のあることがわかった。 その時の感動は忘れられない、という。

 長く患っていて17日に亡くなった元片倉工業社長の岩本謙三さんは、大学 の同期だった。 柔道部だった友達の友達だったことで知り合い、「等々力短信」 を読んでもらっていた。 19日朝日新聞朝刊の死亡記事に「同社が所有・管理 していた富岡製糸場を、群馬県富岡市に05年に寄贈した当時の社長。14年の 世界遺産登録につながった。」とあった。 短い訃報なのに、こう書かれていた のが嬉しかった。