虚子と三好達治、お互いの評価2016/09/09 06:32

 林浩平さんは、三好達治の句が虚子に評価を受けて当然だとする。 三好は 大阪で府立市岡中学に入学した14歳のころ、早くも「ホトトギス」に出合い、 句作を始め、投稿するようなことはなかったが、陸軍士官学校を中退して三高 に進んだころには、句作ノートは千句を超えていたという。 筑摩版の三好全 集では第二巻に、「路上百句」と題して俳人の石原八束の協力を得て精選した百 句、それに「俳句拾遺」として五十句を収めている。 その中から、林浩平さ んが挙げているのには、<鶺鴒のよけて走りし落椿><星とぶや隣家の鯉の水 をうつ><あんぱんの葡萄の臍や春惜しむ><水に入るごとくに蚊帳をくぐり けり>ほかで、「ホトトギス」直伝の写生精神が生きていて、小動物が好きだっ た三好らしい精妙な観察眼も発揮されていて、さらにはファンタジーめいた、 柔かな夢幻性まで味わえる句もある、とする。 三好と親しかった石川淳が追 悼文で、「おれは俳人になつたらよかつたかも知れない」という三好の言葉を伝 えている。

 では虚子のほうは、三好の詩をどう読んでいたのか。 三国生れの詩人、畠 中哲夫『対談・詩について』(花神社・1988年)の「高濱虚子・『虹』・森田愛 子」で、伊藤柏翠は「三好達治さんのような格調の高い作品を虚子は好まれた と思います」といい、畠中も「虚子は三好達治に逢って「三好さんの仕事は私 が俳句でやっていることに通ずる」といわれましたね」と証言している。

 虚子は、昭和10年11月20日、三好達治から第四詩集『山家集』(四季社) を贈られた礼状に、「昔は詩を作つて見んかと思ひしことあり、其時の情坐(そ ぞ)ろに思ひ浮べられ候、奉感謝候。」と書いている。

 四行詩の形式の『山家集』の一篇、「水聲」。

通りすがりに 私は見た

人影もない谿そこの 流れのふちに

砥石が一つ

使つたばかりに 濡れてゐるのを

 これなどは「砥石かな」という結句で終える俳句に詠み替えることだって出 来るのではないか。 虚子が感興を覚えたというのもよくわかる、と林浩平さ んは書いている。

 いっぽうの三好達治による虚子の俳句の評価。 昭和9年6月「帝国大学新 聞」の「虚子句集」という文章に、改造文庫『虚子句集』を読んで、「淡如とし て白湯の如く他奇はないが作者は、日常身辺の現実に、即し得て隙間がない。 その家常茶飯事的な消息が、そつくりそのまゝ、人の心に伝はつてくる、そこ のところが面白いのである」、「描写の自在なところが渋滞のあとがなくて気持 がいい。第一句(<大海のうしほはあれど旱かな>)の如きも旱天の雰囲気を 写し出した、写実の句といふべきであらう。」という。 <人病むやひたと来て 鳴く壁の蝉>を「集中第一の出来栄えである」として、「それは紛れもなく正統 なレアリズムの究極にあつて、そのまま直ちにサムボリズム(フランス象徴主 義の詩)の詩境に通ずる、いつてみれば虚子本来の志を実現したやうな名吟で ある。子規以来の所謂写生道は、虚子のこのやうな句に到つて、その頂点に達 したもののやうに思はれる」と書いた。

 以上は、私が読んだ、林浩平さんの「虚子と三好達治・その文学的交点」で ある。