父親の「ことば」その二2016/09/17 06:25

9月6日に書いた「父親が口にしていた「ことば」」だが、ほかにもいろいろ あり、7歳下の弟とメールのやりとりをして、彼が覚えているものもあった。  弟もまた、日曜日の朝、父親の蒲団にもぐりこんで、もろもろ聞かされていた のだった。

父は、若い時に広池千九郎の道徳科学(近年はモラロジーという)を学んだ ようで、私の子供の頃、家に古い道徳科学講座の本があった。 そこで仏教の 話も出てきたのだろうか、「無一物中無尽蔵」とか、「縁なき衆生は度し難し」 とか、よく言っていた。 宗派が曹洞宗だった関係もあるのか、曹洞宗の開祖、 道元禅師の『正法眼蔵』(しょうぼうげんぞう)の『現成(げんじょう)公案』 を読んでみたが、難解でまったく歯が立たない、しかたがないので丸暗記をし たと言って、よく暗誦していた。 母が亡くなった時、山形県鶴岡市の禅龍寺 のご住職に東京三田の南台寺を紹介してもらった。 その両方のご住職に、そ の『現成公案』の丸暗記を披露してケムに巻いていたものだ。 私も「門前の 小僧、習わぬ経を読む」で、その一部を唱えられる。

「仏道を習うと言うは、自己を習う也。自己を習うと言うは、自己を忘るゝ なり。自己を忘るゝと言うは、万法に証せらるゝなり。万法に証せらるゝと言 うは、自己の身心及び他己の身心をして脱落せしむるなり。」

中央商業の漢文の先生が、ここでも登場する。 父はこう教わったというの だ。 和尚さん達に、こんな話をしていた。 紀元前463年だかの、4月8日、 お釈迦さまは、お生まれになったとたん、蓮の花の上におりたち、七歩歩いて、 右手を上げ、「天上天下唯我独尊」と、おっしゃったといわれている。 しかし、 お釈迦さまは「スラーメーラヤ・マッジャパーナーダ・シッカーパダム」と言 われた。 彼は、インドはカピラヴァストゥ国の人であったから…。

仏教話のほかに、インチキ英語もあった。 「キャベージ、マメランプヒッ クリケール、カジオコール。ジョウキポンプハシール、ミズカケール、ケール、 サンキュー。」 「太陽サンナイト夜」、「ひねるとジャー(蛇口)」、「押すとア ンデル(饅頭)」。 父は芝の白金志田町で育って、御田(みた)小学校に通い、 結局はその小学校が見える墓に眠ることになったのだが、子供の頃「ミスター ゴードン、アットホーム?」と言っていたという(弟の記憶では、伊皿子辺り の外国人の子供を呼びに行くとき)。 私の怪しい記憶では、ゴードンは牛乳屋 で、そこを訪ねてくる客の外人がそう言っていたと、聞いたように思う。

父は中央商業を出たあと、小さな貿易商社に勤めた。 そこでアルゼンチン と商売をして知ったという言葉「カシラデコレオ(Casilla de correo・私書箱) を、弟が覚えていた。